2023年6月15日木曜日

さっぱりした。なんのトラブルもなかった。

 竹や木を切ってよかった。さっぱりした。なんのトラブルもなかった。若い人たちのほうが、(こっちが)言ったことしかやらないというスタンスなので、トラブルがしょうじない。昭和一桁の人とは、トラブルがしょうじた。とりあえず、棟梁と言っておくけど、棟梁がぼくにやってやりたいことをやりだすんだよな。あれ、まいった。ぼくが設置したネズミ対策用のパティをとってしまったのだ。棟梁が「ドアはあけられたほうがいいだろ」という考えに執着した。三つあるドアのうち、使っているドアはひとつで、このひとつのドアがあけばよいのだ。ネズミの防御力がさがるのがいやだから「ドアのパティはいじらなくていい」「ドアはあけられなくてもいいから、パティをとったらダメです」と言っておいたのに、とってしまったのだ。「だいじょうぶだ。ちゃんとやってやるから」「だいじょうぶだ」「だいじょうぶだ」と言っていたのに、けっきょく、だいじょうぶじゃなかったのだ。俺が金を払っているのだから、俺がやってほしいことだけやってくれればいいんだよ。で、ネズミが、棟梁がやったところから入ってきたので、なおしにきてくれと言おうとしたら、電話がまったくつながらないようになってしまった。で、あとでわかったことなんだけど、脱腸で入院していた。昭和一桁の呪いなのか知らないけど、昭和一桁の男は、「自分が相手にやってやりたいことをやる」という傾向が強い。どうして、昭和一桁の人に頼むことになったかというと、若い人や中年の人は、このうちの「つくり」がわからないのだ。ぜんぜんわかってない。古い家なので、ふるい人にやってもらわなければならなかった。構造がわかっている人じゃないとだめなんだよ。で、それは、ネズミ対策工事の話なんだけど、ネズミ対策工事以外のことも、棟梁にやってもらっていたときがあった。ようするに、庭の木を切ることだ。で、若い人たちに頼んでみてわかったのだけど、若い人たちのほうが、仕事がはやい。3倍ぐらい、はやい。もっとはやいかもしれない。棟梁は、だいぶ離れたところからくるので、小回りがきかないのだ。そして、切った木を、一度自分のところにもって行って、捨てられるようにして捨てるという方法だった。今回の若い人たちの方法というのは、どこかのゴミ処理業者と契約をしていて、そのゴミ処理業者に、最初から現場で、捨てられる長さに切っておいて捨てるという方法だった。そして、ゴミ処理業者が複数の場所に、そういう収集センター?みたいなものを設置してあるので、一度持ち帰らないで、近くのそういう取集センターに切った木をもっていくという方法だった。これだと、小回りがきくのだ。ともかく、今回は、とてもスムーズにいった。棟梁の会社よりも、若い人たちの会社のほうが、金額が安い。はやいし安いし助かった。 

ともかく、今回の竹と木の伐採は、大成功。気持ちよく、終われた。思ったよりはやく終わったし、自転車も救済できた。(自転車のことはそのうち書くかもしれない)。

ちなみに「最初から現場で、捨てられる長さに切っておいて捨てるという方法」というのは、たとえば、木を根元から切るのではなくて、上から何回かにわけて切るという方法だ。もちろん最後には根元から切るわけだけど、この方法だと、車に木や竹をつんだときには、そのまま捨てられる長さになっている。


いつも読んでくださるかたに感謝しております



人気の投稿

ブログランキング・にほんブログ村へ