2021年8月9日月曜日

『働かずに生活できればハッピー派』と『働きたくないけど働いているよ派』と『コアがやられた派』がある

これは、言ってしまうと問題があるかもしれないけど、言いたい気分なので言ってしまおう。

 

はっきり言ってしまうと、ぼくは、「働かずに生活できればそれでハッピーだ」というような精神状態ではない。 ぜんぜんちがう。けっきょく、底辺セミリタイア界ではやっているのは、こういう考え方だ。現在の日本企業で働くのは、まっぴら、ごめん。働かずにすごすことでしあわせになれる……こういう主張だ。わかる。けど、彼らには長期騒音体験がない。なので、コアがやられてない。ぼくは、人間のコアの部分をやられた。だから、「働かずに生活できればそれでハッピーだ」ということにはならない。

けど、どっちが受けるかと言えば、それは、「働かずに生活できればそれでハッピーだ」というほうが受ける。それはどうしてかというと、働かずに生活したい人がたくさんいるからだ。セミリタイアできる金がある人たちに対しては、羨望があると思われる。それは、自分が「働かなければならない存在」なので、「働かなくてもいい存在」には、うらみに近い羨望があるのだろうと思う。けど、軸としては、「いつかは自分もセミリタイアしよう」ということになっているので、セミリタイアしている存在は、参考にはなるのだ。

けど、長期騒音にやられた俺にとってはまるで参考にならない。どうしてかというと、楽しめないからだ。楽しめない……これがどういうとだか、わかるだろうか。コアをやられてない人にはわからないと思う。だから、ようするに、『働かずに生活できればハッピー派』と『働きたくないけど働いているよ派』と『コアがやられた派』があるのだ。そして、コアがやられた派というのは、絶対的な少数派なので、大きな流れに乗れない。すべての流れに乗れない。流れというのは、コアがやられてない人たちによってつくられるからだ。

で、もって、こういう「暗い話」も受けない。受けないのはわかる。けど、ほんとうの話なので、書いておく。

 

 

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