2021年8月19日木曜日

だから、違和感がある。

 本当につまらない。こころが晴れない。どうしてかというと、長期騒音のせいだ。俺は自分の人生を生きてない。ぼくの本当の人生は、長期騒音がなかった場合の人生だ。ぼくの本当の人生はちがう。

だから、違和感がある。

ほかの人は、パタヤあたりで外こもりをすれば楽しいわけだし、国内でも旅行に行けば楽しいわけだ。そして、まあ、妻や子供と暮らしているのだろう。全部、ない。楽しくない。やったにしても、楽しくない。楽しくない。楽しくない。

ぼくを縛り付けるものは、ないけど、むなしい。これも、実際に長期騒音がなかった人には……長期騒音の経験がなかった人には……ぼくが勝手に、長期騒音にこだわって、自分の人生をつまらないものにしていると思えるのだろう。ぜーーぜん、ちがうのだけどね。他人には、必然性が見えない。必然性。

じゃ、そういう状態で、少しでも、楽しく生きていくことはできないのか?ということになると思う。それが、できないのだ。ぺちゃんこなのだ。うけないのは、わかる。わかるんだよ。けど、どうしようもないんだよな。これは、パワハラを3年間受けて、うつ病で仕事をやめた人ともちがう。なんと言っても、長いんだよ。長期騒音生活が……。長期騒音生活が15年間。そして、あのあとは、まるで、よくならない状態でくらしている。苦しさを抱えて生きているだけだ。きちがい長期騒音の生活が、どれだけくるしいものか、ほかの人にはわからない。わかないから、俺が勝手に「こだわらなくてもいいこと」にこだわってる。「とらわれなくてもいいこと」にとらわれていると感じてしまう。ちがうのに。一般的な他者がそういうふうに思ってしまうということですら、長期騒音の「別の効果」だ。騒音といえば、騒音なので、「うるさかったのだろう」と思うわけだよ。けど、そういうふうに人に思われるということ自体が、一種のスティグマになる。障害になる。友好的な人間関係の障害になる。


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