2020年12月4日金曜日

ポジティブな脳内変換がどの程度、有効なのかということについて 破損の範囲が問題なのではないかと思う


ポジティブな脳内変換がどの程度、有効なのかということについてはだいぶ前から興味がある。ネット上の文章を引用して、この人がこういうことを言っているけど、これはこうだと思うということを書くと、かならず?きらわれるので、どうにかして、文章を引用せずに自分の言いたいことを言いたいのだけど、これがまた難しい。


ぼくが基本的に言いたいのは、損害されている範囲の問題なのではないかということと、ほんとうにその人がつまらないと思っていることに関しては、どれだけポジティブにとらえなおそうとしても、つまらないのではないかということだ。仕事はつまらないけど、セミリタイア生活はおもしろい……と感じる人がいたとする。もしかりに、ポジティブな脳内変換が可能なのであれば、仕事も、セミリタイア生活のように楽しいと思えるはずなのだ。

しかし、その人は、たぶん、仕事に関しては、「まじで」つまらないと思っているから、仕事をおもしろいと感じることはできないだろうと思う。その人の損害の範囲が「仕事」に限定されているから、ほかのことに関しては、ポジティブな脳内変換をして、おもしろいと感じることができるだけだ。

(だから、底のほうでどう感じているかのほうが、意図的な脳内変換よりも優位なのではないかと思う)。

すべてのことがつまらないと思っている人がいたとする。その人は仕事以外の範囲もつまらないと感じているわけだ。その場合、損害されている範囲が「すべて」なので、すべのことに関してポジティブな脳内変換ができないのではないかと思う。

仕事以外のことなら脳内変換することができると思っている人をAさんだとする。


Aさんだって、仕事に関してだけは、ポジティブな脳内変換ができないのだから、できないという気持ちはわかると思う。Aさんが「物事」と言っているのは、「仕事」関連だけは含まない「物事」なのである。仕事に関しては、Aさんだって、脳内変換で乗り切ることができなかったのだ。つまり、おもしろくない仕事を脳内変換でおもしろく感じることができなかった。

 仕事も含めてすべてことが脳内変換できないと思っている人をBさんだとする。

「解釈を変えることによって、あるいは、物事の見方をかえることによって、同じことでも楽しく思えるはずなのだ。どんなことでも、ポジティブにとらえようとすれば、ポジティブにとらえることができる」……とAさんがBさんに言ったとしよう。

その場合、Aさんは、仕事を含めてどんなことでもポジティブにとらえようとすれば、ポジティブにとらえることができると言っていることになる。けど、Aさんの頭のなかでは、仕事に関係することだけは、「どんなことでも」ということのなかのなかには含まれていない。「どんなことでも」という言い方は、不便なので、すべてのことと言い換えることにする。Aさんの場合は、仕事の以外のすべてのことは、ポジティブに言い換えることができるのだけど、仕事に関してはだけは、ポジティブに言い換えることができない。Bさんの場合は、すべてのことをポジティブに言い換えることができない。その違いが意見の違いになっているのではないかと思う。その意見の違いは、人生観の違いになってあらわれると思う。

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ちなみに、ぼくが「おもしろくない」と否定的なのは、否定的なことを言ってかっこうをつけようとしているわけではない。長期騒音が問題なのだ。長期騒音で、ポジティブに言い換えることができない範囲……ポジティブに脳内変換できない範囲が、全体に及んだ。 

「なんでも否定したほうがかっこうい」と考えている人もいるかもしれないけど、俺はそうじゃない。長期騒音で、ストレス・アウトして、すべてのものにかんして、あんまり興味が持てない「からだ」になってしまった。あるいは、すべてのものにかんして、おもしろくないと感じる「からだ」になってしまった。これは、俺にとってとてつもなく不幸なことだ。

「なんでも否定したほうが格好いい」という価値観は俺にはない。「なんでも否定したほうが格好いい」という価値観を持っている人たちがいるという意見は、別に否定しないけど……。ぼくは、別に「否定したほうがかっこういい」と思ってない。

 


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