2020年12月5日土曜日

見方を変えれば楽しく感じることができるはずだ……いや、それが有効な範囲は限られている


市の名称などが出ているので、そのまま引用するのは、やめて、俺が書き直した文で話をすすめることにする。

「この街は遊ぶところもなく退屈な街だ」ではなく「さわがしくなくすごしやすい街だ」と脳内変換できる人間はどこでも楽しく暮らしていけますよ……(1)
というようなことなのだけど、それも、ちがうのではないかと思う。


最初から、さわがしくない街のほうが、好きだったのである。なので、その人はさわがしくない街を選んだ。そりゃ、選んでその市に行っているわけだからそうなる。たぶん、さわがしい街がそれほど好きではなく、のどかな街を選んでいる。あとは、家賃がとてつもなく安いけど、建物自体は新しくて立派だという「得」要素がある。その人がなにを「得」だと感じるかというのは、また別の問題。

「この仕事場がある街は遊ぶところもなく退屈な街だ」ではなく「さわがしくなくすごしやすい街だ」と脳内変換できる人間はどこでも楽しく仕事ができますよ……(2)

仕事が事前に除外されているのであれば、(1)のような考え方を持っている人ですら、(2)のようには考えることができない。それは、最初から決まっている。

見方を変えれば楽しく感じることができるはずだというのは、効果を求める分野ではずっと、研究されていることだ。まさしく、ビジネス、経営の世界の話だ。仕事が楽しくないと感じる従業員をどうやって、仕事が楽しいと感じる従業員にするか? そういう分野の研究がある。



 

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