2020年12月5日土曜日

ようするに、直感の内容が、そのまま、結果になる。……最初から決まっている


「いつでもやりはじめることができるし、いつでもやめることができる」というようなことが、成り立っていることに関しては、「見方を変えること」によって楽しいと感じることができる。けど、これは、強要されたことではなく、自発的にやり始めることなので、これも、ある意味、最初から決まっている。

そのセミリタイア愛好者の場合は、最初から、自分がやりたいセミリタイアをやっているので、セミリタイアに関しては楽しいのである。工夫の余地があるのである。一見、不便と感じられることにも、楽しみを見出すことができる。これは、自分がやりたいことをやっているからだ。

「見方を変えれば楽しむことができるはずだ」という考え方は、じつは、楽しくないからしょうじる。仕事に関しては「見方を変えれば楽しむことができるはずだ」という言葉は、じつは、仕事をやりたくないと思っているだれかに対して、向けられる言葉だ。「楽しくないと思っている仕事を楽しめばいい」……それには、楽しくないという見方を変えればよいのだという話になる。*1 


セミリタイア愛好者がセミリタイアをすすめる場合は、すべてが、逆になってしまっているのである。だからこそ、セミリタイア愛好者のレゾンデートル(存在理由)がある。しかし、ねじれている。話がねじれてしまう。

 

一見、不便に見えるけど、工夫すれば楽しくなること……は、その人の脳みそのなかでは、直感的に決まっている。*2
直感的に「工夫すれば楽しくなる」ということがわかっているので、意識的には一見、楽しくないようなことが、選ばれて語られるということだ。けど、仕事の場合は、そうではないのだ。裁量権がない、工夫の余地がないといった条件がついている。

直感、一見、結果
ということを考えてみよう。
(1)直感(楽しい)、一見(楽しくない)……結果(楽しくなる)
(2)直感(楽しい)、一見(楽しい)……結果(楽しくなる)
(3)直感(楽しくない)、一見(楽しい)……結果(楽しくならない)
(4)直感(楽しくない)、一見(楽しくない)……結果(楽しくならない)
ようするに、直感の内容が、そのまま、結果になる。
直感の内容を、言い換えることができない。一見どうかに関係なく「工夫すれば楽しくなる」か「工夫しても楽しくならない」かが「最初から直感的に」決まっている。仕事に関しては、裁量権など問題にされるとは思うけど、その裁量権は、じつは「やり始めるのもやめるのも自由」という究極の裁量権の影響下にある。仕事に関しては、「仕事をしなければ飢え死にしてしまう」という脅しがある以上、やらなければならないことなのであるから、究極の裁量権はないと言っていい。もちろん、人によっては、仕事をしなくても飢え死にすることがないのだから、仕事をしないということを決めることができる。しかし、「仕事をしなければ飢え死にしてしまう」という脅しが成り立っているのであれば、もちろん、「するしかない」ということになる。まあ、死ぬことを選ぶ人もいるけど……。*3


*1(「楽しくないという見方を変えればよいのだ」という話は「助言」や「提案」のかたちをとるということを、よくおぼえておこう。これは無視されがちな特性だけど、重要な特性だ)

*2 直感的に決まっていることが、範囲を決定する。

*3 生活保護の話などは無視することにした。
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