起きてみたら、ボロボロにつまらなかった件……。
そりゃ、起きたって、かわらないさぁ。そんなのは、知っている。けど、これはちょっとひどいな。まだ、喉のいたみがとれないし、足首のかゆさがとれない。足首のかゆさは、なんか、ひどくなった感じがする。足首とは関係なく、たぶん、蕁麻疹で全身がかゆい。
気分的に、つらい。
なーーんも、かわりゃーーしない。
貧乏リタイア生活続行中です。節約生活をしています。脱力系です。 趣味は語学学習やアニメなど金がかからないものです。 普通の人のリタイア生活とはほど遠いものがあります。
起きてみたら、ボロボロにつまらなかった件……。
そりゃ、起きたって、かわらないさぁ。そんなのは、知っている。けど、これはちょっとひどいな。まだ、喉のいたみがとれないし、足首のかゆさがとれない。足首のかゆさは、なんか、ひどくなった感じがする。足首とは関係なく、たぶん、蕁麻疹で全身がかゆい。
気分的に、つらい。
なーーんも、かわりゃーーしない。
洗濯物は、けっきょく、40分ぐらいしか外に出せなかった。すぐに、工事の人がきた。ほこりがくるのがいやだから、すぐにしまう。
そのあと、いろいろやっていた。買うつもりはないのに、グラフィックボードの性能比較動画を、ずっと見ていた。グラフィックボードがどうなっているのか、ちょっと、知識を更新したかった。まあ、買う気がないので、ほんとうに、見ているだけ……。
これから、睡眠トライをしてみる。
あーー。熱湯消毒後の洗濯はした。けど、これも、部屋干しだ。南側に幼稚園があるのだけど、幼稚園の工事が長引きそうなんだよな。作業をしている人がいると、洗濯物を干せない。はやく終わってくれないかなぁ。今日は、東側はなかったなぁ。西側はちょっとやってたけど、わりとすぐに、帰った。
資源ごみの日なので、段ボールをすてに行った。もう、つかれた。
あーー。このさき、どうするかな?
今日は、ひさびさに晴れているなぁ。まだ、工事の人たちがきてないから、洗濯物でも干しておくかな。
で、まあ、干したんだけど、いつまで干せるかな? 工事の人たちが休みならいいなぁ。
しかし、つかれた。昨日は、布団に入ってから、わりとはやく眠れた。午前4時ぐらいに起きて、バナナを食べた。甘熟王という、ポストハーベスト処理をしてないバナナだ。貴重品だ。これを手にれるために、西友・楽天ではなくて、ライフ・アマゾンに注文をしたのだ。
しかし、どうするかな?
昨日きていた服を熱湯処理した。今日中になんとか、洗濯をする。まだまだ、段ボールの箱がある。これが、ダニがいなければ強敵ではないのだけど、ダニがいるから、強敵になってしまった。だから、「ネズミ対策工事をしよう」とさんざん言ったのに。だから、「魚を出さないでくれ」とさんざん言ったのに。だから、「物置にいちいち生ごみをもっていかなくていい」とさんざん言ったのに。全部、ネズミをおびき寄せて定着させることをやっているんだよな。親父が、意地になって、そういうことをした。こまるんだよ。ネズミは、初期段階で処理しなければだめ。ちゃんと、穴をぜんぶふさがないとだめ。はってきたやつを、ネズミシートで捕まえてもだめなんだよ。時間がたてばたつほどひどいとになる。時間がたてばたつほど、対処がむずかしくなる。だから、言ったのに……。
まあ、ともかく、引っ越しまで、できることをするしかないなぁ。体力的に、引っ越しがむずかしいんだよなぁ。
昨日こまったのは、自分が書いたむかしの文章をどうするかということだ。あとは、友だちからもらった手紙もある。手紙をすてるつもりはない。けど、ほこりがダニのほこりになってしまったから、問題なんだよね。まあ、完全ではないにしろ、いろいろとやり方がある。
本も全部すててしまえばよいのだけど、そうはいかない。どうするか、まよう。
なんか、片付けるときにいろいろなものが出てくるのだけど、全部の期間で、くるしかったのである。長期騒音でくるしかった。
ともかく、なるべくはやく、引っ越しの用意をして引っ越すしかない。
こいつらは、インテルに洗脳されているから、陰謀論的なことを言うやつには、自動的に嫌悪感を感じるようになっている。ちょっとでも、陰謀論的なことを言うやつは、陰謀論者で、陰謀論者には、自動的に嫌悪感を感じるようになっている。嫌悪感だけではなくて、怒りも感じている。ちょっとでも陰謀論的なことを言うやつを見かけると、自動的に、イライラしてくるのだ。なので、「説得してどうにかしよう」ということができない。「日本人が立ち上がらなければならない」と言うことを言う人たちがいる。俺は、ずっとがんばってきたけど、自動的に券を感を感じて、自動的にイライラする人たちに、なにを言ってもむだだ。どうしてかというと、陰謀論的な内容を含むことを言わざるをえないからだ。そして、「あたたかく見守ってあげましょう」というようなへんな態度をとる人たちもいる。この人たちも、陰謀論者に嫌悪感をもっているのだけど、イライラを感じることはない。まあ、うっすらと、イライラもあるかもしれない。けど、「へんな宗教にはいっているかわいそうな人たち」「へんな宗教信者にだまされているかわいそうな人たち」として見守っていけばいいという、斜め上の態度をとる人たちがいる。この人たちは、もちろん、「陰謀論的なことはすべてまちがっている」という態度だ。基本、陰謀論的なことを言う人たち、特に、反ワク的なことを言う人たちのことを、「へんな宗教の信者だ」と思っている。だから、「温かく見守ってあげましょう」と言うような態度になる。これの、でどころは、やはり、テレビだ。たとえば、NHKのニュース番組で、専門家がアナウンサーの質問にこたえるというようなコーナーをもうける。アナウンサーが「こういう陰謀論者にどうやって対処しすればいいのでしょうか」というような質問をする。そうすると、専門家が、「悪い宗教にはまっているいるようなものだから、頭から否定はせずに、あたたかく見守ってあげましょう」という、見下した見解を述べるということをする。「頭から否定せずに、正しいことを説明してあげましょう」と言う態度だ。けど、その前提になっている正しいことというのが、まちがっているのだ。これが、やっかいだ。どうしてかというと、一般視聴者にしてみれば、常識側の考えが絶対に正しいということになっているからだ。この専門家の意見というのが、洗脳の内容だ。こうやって、NHKは、ゆっくりと、しかし、しっかりと洗脳していくのである。m-RNAがどうやってスパイクたんぱく質を作っているかもわかってない連中が、正しい判断なんてできるわけがないだろ。これ、ひとつをとっても、「正しい」というのが、問題になる。「(自分は)m-RNAがどうやってスパイクたんぱく質を作っているかは、知らないけど、専門家が正しいに決まっている」という態度だ。正しいのか? 正しいに決まっているのか? どっちだ。「正しいに決まっている」と思い込んでるだけなんだよ。陰謀論者は、まちがっているに決まっていると思い込んでいるだけなんだよ。
今日は、ちょっとだけ、片づけがすすんだ。ガスマスクをつけての作業は、けっこうくるしい。段ボールの処理をするときは、ダニに刺される可能性があるので、鼻付近をまもるために、シンナー用のガスマスクをつけている。
それから、食料を買って、にぎり寿司を食べた。にぎり寿司もトランスミッションが気になるので、警戒している食べ物なんだけど、どーーしても、急に、にぎり寿司が食べたなくって、食べた。じつは、急に、にぎり寿司が食べたくなったのは、昨日だ。昨日の夜。買いに行こうかなと思ったけど、まよっているあいだに、雨がふってきたのでやめた。
にぎり寿司はうまかった。いろいろ、心配しないでにぎり寿司を食べられる世界をとりもどしたいものだ。
しかし、このさき、どうなるんだ?
今度は、来年の1月20日をまたなければならなくなった。はやくしてほしいんだよね。いま、トランプが「やる」と言っていることを、すぐにでもやってほしい。けど、まだ、準備段階だ。
因果関係を証明できないのは、科学的に証明できる技術がないからではない。さらに、因果関係がないから、因果関係を証明できないのではない。因果関係を証明してしまうことが、禁じられているから、因果関係が証明できないのだ。そりゃ、禁じられているのだから、因果関係を証明できる人なんていない。けど、これを、自称科学的な人たちが、「因果関係がないから、因果関係を証明できない」と思ってしまうのだ。だいたい、因果関係を証明することを禁じるというのは、フェアじゃない。こういうところに、気がつかないのだ。とても、科学的は言えない。因果関係が証明できないのだから、因果関係はないと考えてしまうような鈍感さんだ。こんなの、ない。こんな鈍感なやつらが、俺のことを、陰謀論のバカだと言うのだ。どれだけ、たえてきたか。
騒音が鳴りわったあと眠った。午後5時以降だなぁ。そして、なんか、午後7時ぐらいに起きた。起きたときの、むなしさが半端じゃない。ともかく、なんか食べようと思いついて、レトルトのシチューをあたためて食べた。まあ、うまかった。添加物は気になるので、見てない。レトルトのカレーはまずいけど、レトルトのシチューはうまい。なんなんだろうな? この差は? レトルトのカレーがまずいんだよなぁ。食べたあと「うっ」ってなる。なんか、だるい感じになるのだ。安いレトルトカレーじゃなくて、高いレトルトカレーでもそうなる。1個400円ぐらいするわりと高めのレトルトカレーも安いレトルトカレーも、レトルトカレーは味が似たり寄ったりなんだよなぁ。汁汁カレーのほうがうまい。しかし、なんか、汁汁カレーをつくるのがめんどうなときのために、レトルトをいろいろと買ってみたのだけど、あんまり、うまくない。安いやつはまずいけど、高いやつはうまいというようなことを期待してたんだけど、期待が裏切られた。
まあ、シチューを食べながら、『トリリオンゲーム』というを見たのだけど、アニメとしてはおもしろいと思う。こういうアニメの市場はある。
毒の量についてちょっとだけ語っておく。発達障害とワクチンの関係について説明した。あたりロットとはずれロットという2種類で、説明した。あたりロットだと発達障害になり、はずれロットだと発達障害にならない。けど、たとえば、70をこえると、発達障害になるような毒を考えてみよう。70という数字の単位はない。ただ単に70。この場合、一本目、20だけ(毒)がはいっているロットを打ったとする。この場合、症状があらわれないのだから、はずれロットなのかというと、はずれロットではないのだ。これも、程度が低いあたりロットだ。2本目、20、入っているものを打って、3本目、20はいっているものを打った場合、まだ、合計60なので、発症しない。けど、4本目、20はいっているものを打った場合、80になって70をこえるから、ちょっと期間をおいて発達障害の症状(障害)があらわれるようになる。3本目まで打ったけど、4本目を打たなかった人は、ワクチンは安全だと考えるようになるのである。「実際、自分、は、そのワクチンを三本打ったけど、発達障害になってない。ワクチンを打つと発達障害になるというのは、デマだ」と考えるようになるのだ。
ワクチンで発達障害がしょうじる可能性はある。これも、あたりロットとはずれロットがあり、はずれロットのほうが割合が大きい。なので、ほんとうに低い確率で、発達障害になる。けど、じゃあ、発達障害なるものの、すべての理由がワクチンなのかというとそうではない。別の理由で発達障害になる人がいる。だから、人々は混乱することになる。たとえば、ロットのちがいについて知らない人は、ひとつの名称でよばれる「ワクチン」をひとつの「ワクチン」だと思っているから、ワクチンを打ったのかどうかに注目しがちだ。けど、ここで、トラップが発動しているのである。ワクチンではなくて、どのロットを打ったのかということが重要なのだ。そして、「ワクチンを打つと発達障害になる」という言い方だと、あたかも、発達障害の理由が、ワクチン接種(だけ)であるかのように誤解してしまうのである。悪いけど、理由はほかにもある。ようするに、ワクチン接種は、ひとつの理由でしかない。ほかの理由で発達障害になる場合がある。「ワクチンを打つと発達障害になる」という言い方だと、まず、ワクチンロットの問題を無視しているし、次に、発達障害になるほかの理由を無視している。
いやーー。つまんないなぁ。つまんなーーい。
どうしようかな? もう一度寝るかな。基本、昼間は工事でうるさい。いろいろなところで、工事をしている。洗濯物も安心して、外に干せない。これが案外、ストレスをあたえるのである。どうしたものだ?
ネズミがいる気配がある。これも、憂鬱になる一因だ。そして、ネズミよりも、人間のほうがたちが悪い。いろいろなことが、うかんでくるよ。
どうしようかなーー。このさきーー。ずっとこのさき、どうしよう。
まあ、焼き芋や柿はうまい。このあいだ、サツマイモを焼いてみたのだけど、うまかった。けど、電気、くうわぁーー。やっぱり、焼き芋は焼いてあるのを買ったほうがいいのかな。けど、焼きたてのうまさがある。
まあ、騒音のなかで、もわーーっとした気分で、イモを食べた。うまいけど、そんなにいい気分じゃない。いや、どちらかというと、悪い気分だ。そりゃ、この世のいろいろなことがうかんでくるからね。ほんとうに、家族の長期騒音で、そとの人間関係がめちゃくちゃになった。そとの人間に、相当に、不愉快な思いをさせられた。不愉快。不愉快な記憶がある。
ほんとうに、人間のいやらしい部分をいっぱい見てきた。「こいつらは、どうしてこういうやつらなんだ」と思うことが、いっぱいあった。
まあ、ほんとうは、書いちゃいけないことなんだけど、これは、ぼくのノートだからねーー。書きたいことは、書く。
はて、ブラックスワンはあるのかどうか? これが、気になるなぁ。いちおう、ブラックスワンというのは、この場合、リーマンショックの1・5倍ぐらいの、株価暴落だとする。けど、リーマンショックよりは、はやい時期にもとの状態にもどると思う。継続期間は短い。いちおう、目安としては、来年の1月19日まで。あるかどうか言えないけど、あってもおかしくはない。なくても、おかしくはない。これ、白がどういうやり方でやるかにかかっている。
いちおう、アメリカ大統領選挙がおこなわれるまでは、白によって株価が維持されると思っていたけど、選挙がおこなわれたので、フェイズがかわった。 どういうやり方で、古い企業を片づけるのかということが、問題になる。ちなみに、アメリカ大統領選挙が行われない場合も、可能性としてはあった。可能性はあるのだから。排除して考えることはできなかった。けど、トランプが政権につくまでには、まだ時間がある。可能性を考えると、いろいろなシナリオが考えられる。
しかし、このさき、どうするかな?
このさき、どうするか?
まあ、里芋の煮っころがしでもつくるか?
しかし、どうするか?
今日は、不燃ごみを出した。それだけでも、いいか。一歩前進した。しかし、どうするか?
なるべく早く引っ越さなければならないのだけど、どうしても、引っ越しの準備ができない。片づけて、パッケージングすることができない。
よし、ちゃんと選挙をやって、トランプが当選した。選挙をやらないのではないかと言うことが言われていたのだけど、ぼくは、やると思っていた。そして、もちろん、トランプが勝つと思っていた。
トランプは「ディープステートを(ひとり残らず)たおすんだ」というようなことを言っていた。ディープステートという言葉を使うだけで「陰謀論のバカだ」思っていたやつは、どういう反応をするのだろう。ディープステートという言葉を使っていた、陰謀論者のバカが、アメリカ合衆国の第47代大統領になったぞ。
「ディープステートとかwwww」とか「ディープステートなんて言っているやつは、現実と妄想の区別がついてない」などと言っていたのだ。さんざんバカにしてたけど、こういうことを言ってやつは、反省するべきだ。
トランプしかディープステートいう言葉を使ってなかったけど、それには、理由がある。ひとつは、アメリカ人が人質にとられていたからだ。そして、いちおうは有名な人がディープステートについて(ディープステートゆるしなく)語ってしまうと、その人をまもる必要が出てくるからだ。シークレットサービスを使えるトランプですら、ある時期まで、ディープステートという言葉を使うことをさけていたのだから、トランプよりも力がない人が、ディープステートという言葉を(ディープステートのゆるしなく)使ってしまったら問題がある。「ディープステートなんて言葉を使っているのは、トランプだけじゃん」「ディープステートなんて言葉使っているやつは、陰謀論のバカ」と思っていたやつは、反省するべきなのである。
メドベッド(medbed)について、ちょっとだけ書いておこう。インテルが「証拠写真」のように使っているメドベッドの写真は、CGや映画に使われたものばかりだ。
インテルは、メドベッドが実在するということを写真でしめすように、メドベッドの写真を使っているけど、あれは、たんなるイメージの写真だ。
そして、メドベッドも、潜在意識のようなトリックタームだ。原子消滅原子生成型のメドベッドの説明をして、そういう種類のメドベッドがあるようなことを言うわけだけど、メドベッドと言われているものが、全部、原子消滅原子生成型のメドベッドなのかというと、そうではないのだ。
ともかく、ベッド型の医療機器は、みんな、メドベッドなのだ。
だから、「メドベッドがある」ということは「原子消滅原子生成型のメドベッドがある」ということを意味していない。
* * *
神のテクノロジーなら「原子消滅原子生成型のメドベッド」もありえるということを、期待している人には言っておきたい。別に、「可能性」は否定してないから。
「陰謀論者はへんな宗教の信者とおなじだ」という社会的な雰囲気を、インテルがつくりだしているのだ。一般人は、インテルやインテル信者の言動を見て「陰謀論者はへんな宗教の信者とおなじだ」と思ってしまう。
そして「へんな宗教の信者にも、固有の事情があるのだから、へんな宗教を信じていたとしても、それは、あたたかい目で見守ろう」というような上から目線の憐れみを感じるように「陰謀論者にも固有の事情があるのだから、へんな宗教を信じていたとしても、それは、あたたかい目で見守ろう」と憐れみを感じるのだ。
けど、けど、けど、正しい陰謀論と正しくない陰謀論の区別がつかない人たちが悪い。 「正しい陰謀論なんてない」「陰謀論はみんなまちがっている」というのが、この人たちの考え方だ。けど、けど、けど、その考え方がまちがっている。正しい陰謀論はある。
「陰謀論を口にする人はおろかだけど、その人なりの事情があるのだろう」と理解をしめすことについて、ちょっと言っておきたいことがある。陰謀論を口にする人たちのなかには、賢者がいる。たかしに、陰謀論を口にする人たちのなかには、バカがいる。なら、陰謀論を口にする人たちはみんなバカというと、そうではないのだ。一般人は「陰謀論者はみんなバカだ」と思って、「その人なりの事情があるのだろう」と一定の理解をしめすことになる。けど、賢者が含まれている。「陰謀論者はみんなバカである」という前提がまちがっている。
* * *
ほんとうのことを言ってしまうと、「陰謀論者はみんなバカである」と思っている人たちがバカなのだ。だから、賢者は、バカにバカにされるということになる。「あわれみ」を感じて「その人なの事情があるのだろう」と一定の理解をしめすわけだから、バカにしている。「陰謀論者がバカなのはしかたがないけど、その人なりの事情があるんだろうな」と思っているのだ。陰謀論者側の『こころの問題』とみなして、『こころの問題がある人』はかわいそうだから、一定の理解をしめすことは必要だということになってしまうのである。こういうふうに「バカにするように」しむけられているのだ。
一般人の「陰謀論者はみんなバカである」という認識は、インテルとインテル信者によってつくられたのだ。洗脳設計者は、インテルとインテル信者を使って、一般人が賢者をバカにするように、しむけている。
「因果関係は証明できない」という言い方がある。技術的には因果関係を証明することができても、実際には因果関係を証明することができない場合がある。因果関係を証明することが禁じられている場合だ。その場合について、言及しないで、あることについて「因果関係は証明できない」と語るのは、バランスが悪い。たとえば、ある人が、ワクチンを打った10分後に死んだとする。もちろん、調査をしなければ因果関係は証明できない。そういう状態で「因果関係が証明できない」から「因果関係がない」と言ってしまうあやまりがしょうじる。これは、「あやまり」だ。因果関係が証明できないから、因果関係がないということは、それこそ、できない。どうして、こんな幼稚トリックに気がつかないんだ?
「因果関係を証明できないこと」と「因果関係がないこと」は別のことだ。なんで、これがわからないのか?
むかし、「おカネはありがとうの量」という言い方がはやった。けど、おカネはありがとうの量だとは言えない側面がある。しかし、これも、「全体詐欺」みたいなもので、「おカネはありがとうの量だ」と思った人は「すべて」のおカネがありがとうの象徴だと思ってしまうところがある。
ようするに、この人たちは、ありがとうを象徴してないないおカネというものについて考えてない。おカネがありがとうの気持ちを「あらわしている」場合もあるけど、そうではない場合もあるのだ。
しかし、「おカネ」というちゅうょう的な言葉には、おカネがすべて含まれる。ようするに、この文脈だとすべてのカネが、ありがとうの気持ちをあらわしているということになってしまうのである。こういうことに対する、無頓着さというのは、精神世界の人たちの、弱点だ。どうして、こういう詐欺にひっかかってしまうのか。どうして、詐欺的な説明を「真実だ」と思い込んでしまうのか。部分について言っているのか、全体について言っているのかと言うことは、常に考えなければならないことなのである。
「おカネがありがとうの量」なのであれば、おカネをいっぱい持っている人は、いっぱい「ありがとう」と思われた人だということになってしまうのである。「おカネがありがとうの量」なのであれば、おカネがない人は、人から「ありがとう」と思われることをしてこなかった人だということになってしまうのである。
けど、実際には、生まれながらの差がある。「生まれたうち」の親が、カネ持ちなら、最初から、だいぶカネをもっている状態がしょうじるのである。いっぽう、「生まれたうち」の親が、貧乏なら、最初から、カネをもってない状態がしょうじるのである。「ありがとうの量」は関係がない。
自分がかせぐときは、自分の行いに対して、人が「ありがとう」という気持ちを込めておカネを払ってくれるのだから、人からありがとうと思われる行為をした人には、おカネが入ってくるという理屈なのだ。けど、これは、おカネの流れの「一側面」を言ったにすぎない。
そうじゃない場合だって当然ある。
強欲な経営者が、労働者の賃金をかすめとった場合だって、おカネは、強欲な経営者のほうに流れる。もっと、制度として固定されている場合だってある。
ようするに、搾取をするのがあたりまえということになっている場合、搾取可能な側には、おカネが流れ込んでくることになる。すべてのおカネが「ありがとうの象徴」なのであれば、もちろん、搾取可能な側に流れ込んでくるカネだって「ありがとうの量を指ししめしている」ということになってしまう。ようするに、「全体詐欺」が成り立っている。
ようするに、おカネがありがとうの量をしめしている場合があるけど、おカネがありがとうの量をしめしてない場合もある。ところが、おカネがありがとうの量をしめしているということにしてしまうと、おカネがありがとうの量をしめしてない場合については考えなくなってしまう。
全体詐欺だ。
「おカネはありがとうの量」だと言っている人は、おカネがありがとうの量をしめしてない場合について、まったく考えない状態になってしまうのだ。なので、おカネがありがとうの量をしめしてない場合については、公然と無視して、すべての場合において「おカネはありがとうの量だ」と思い込んで、すべての場合において「おカネはありがとうの量だ」という前提で、ものを言うようになる。
精神の堕落である。
だまされているのである。
* * *
「全体詐欺」というのは、正確に書くと「部分→全体・抽象性詐欺」ということになる。
ひとつの側面について言っているにすぎないのだけど、全体についてのべているような印象を人々にあたえるのだ。その理論を聴いた人は、全体についてのべていると思ってしまう。その話のなかで、抽象的な言葉が使われている。この抽象的な言葉は、部分集合を全体集合のように、錯覚させるための抽象的な言葉だ。Aという部分集合とBという部分集合があり、Aという部分集合とBという部分集合で全体集合を形成しているとする。その場合、ーという部分集合は、当然ながら、全体集合ではない。けど、抽象的な言葉を使うと、抽象的な言葉を使ったときに、Aという部分集合が、あたかも、全体集合であるかのような印象をあたえることができるのだ。当然、Aという部分集合は、全体集合ではない。けど、説明をうけて、「その通りだと納得した人」は、それ以降、Aという部分集合を全体集合のように思ってしまう。
* * *
ちなみに、一度、Aという部分集合を全体集合のように思ってしまった人は、たとえ、「A派部分集合であって全体集合ではない」という説明をうけても、こんどは、納得しないようなところがある。これ、単純な人は、「Aは部分集合であって全体集合ではない」という説明をされても、「そういう場合もあるかもしれないけど、Aは全体集合だ。これで正しい」と言いだすのだ。単純な人は……Bという部分集合があるということを、いちおうは、認めるけど、そのあとすぐに、Bという部分集合を無視してしまう。
科学的だなんだといったって、細胞内に入ったm-RNAがどうやってスパイクたんぱく質をつくるのか、知らない人たちが言っていることなのだ。ディメリットとメリットを考えて……。はぁ、なに言ってんの? 細胞内に入ったm-RNAがどうやってスパイクたんぱく質をつくるのか知らない人たちが考えるディメリットやメリットなんだぞ。こんなの、ひっかけでしかない。そして、「自分がm-RNAがどうやってスパイクたんぱく質をつくるのか知らない」ということについて、まったく無頓着な人なんて、科学的であるはずがないだろ。
* * *
テレビにでてくる専門家が 「m-RNAがどうやってスパイクたんぱく質をつくるのか」について説明したと思う人もいるだろう。けど、その説明を聴いて「あれ、おかしいな」と思わないのは、非科学的な人だからだ。科学的な人なら、「あれ、おかしいな」と思うはずだ。
工事の音がうるさいので、ところどころで、起きてしまう。眠っていられない。今日は、幼稚園側と東側が特にうるさい。いまも、鳴っている。喉は、あいからわず、いたい。「すべての勧誘 お断り」と書いてドアに貼っておいたのに無視して、ピンポンを鳴らしやがって。インターホンになってないので、でないとわからない。最初、自分が今使っているガス会社の人かと思って話を聴いたら、別のガス会社の勧誘だった。ワク臭でやられた。ちょっと書いておいたけど、地域新聞のワク臭はきえた。たぶん、人がかわったんじゃないかな。けど、いつまた、復活するかわからない。
「人の思いのパワーは絶大だから、悪いことは起こらない」とディープステートにだまされている人たちが言っているのだ。これって、どうにかならないかな? だまされっぱなしのやつが、よく言うよなぁ。人の思いのパワーが絶大なのに、悪いことばかり起こっているじゃないか。しかも、自己責任論とおなじように、じつは、「人の思いのパワーは絶大だから、悪いことは起こらない」なんて考え方がはやっていると、デーブステート側がたいへんにやりやすい状態になってしまうのだ。基本、思霊的な考え方というのは、幼児的万能感から出てくるものだ。だれもが幼児期を経験しているので、とても、なじみやすい考え方なのだ。そして、どんな人も、『生』の不安を抱えているので、不安定な未来に関しては、「いいことが起こる」と思いたいという気持がある。ディープステートは、そこのところ……幼児的万能感をだれもがもっているということ……を利用して、思霊思考をはやらせて、思霊思考にとりつかれている人が、現実世界に対処できないようにしたのだ。はやっている精神世界の考え方というのは、ディープステート側にとって都合がいいものばかりなんだよ。ちなみに、新興宗教の考え方も、おなじだ。新興宗教は、ディープステート直轄の宗教だ。日本のだれもが知ってるような新興宗教団体というのは、ディープステートがつくった宗教団体だ。これでまちがいがない。
あーー。つまらない。つまらない。やっと、11月5日。今日と明日で、アメリカ大統領選挙の結果がでる。まちにまった結果だ。これは、重要な選挙だ。選挙をやるのかどうかも含めて、大変興味深いものがある。しかし、ぼくは、つまらない。ここまでで、エネルギーをつかいはたしている。このあいだのシェディング(トランスミッション)がこたえたかなぁ。そのまえから、からだの状態が悪かったのに、また、あのにおいをかがされてしまった。喉がいたいのが、なおらない。
ともかく、明日になれば結果がでる。とりあえず、生きて、こえればいい。
今後のことに、あんまり期待ができないんだよな。はやく、黒側バイトを含めて、排除してほしい。あれに協力したやつらを全員、逮捕してほしい。はやくしてほしい。
こんなごたごたな状態が、いつまで続くかわからない。処理に相当な時間がかかるような気がする。普通に考えれば、処理に時間がかかる。おそい展開になる。そりゃ、ものすごいことが起これば一瞬で解決するけどね。
このさき、俺はどうしたらいいんだ。ほんとうに、つかれた。「もう、つかれた」。つかれたねぇーー。
横になっても、眠っても、つかれがまったくとれない。
このあいだのトランスミッションが効いている感じがする。喉がイガイガする。もともとだるいのに、そういう原因をつらないでほしいな。「すべての勧誘 お断り」と書いてあるのだから、「声をかけてほしくないんだな」と思って、スルーしてくれよ。
せっかく、地域新聞のトランスミッションがなくなったと思ったら、今度は、勧誘で、ナノ粒子をくらったか。
「明るいことを考えると明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」とワクチン騒動のさなかに言っていたのである。
もしかりに、コロナ騒動がはじまったとき、「明るいことを考えると明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」という考えをもっていて、「明るいこと」を考えたら、ワクチン騒動は起きてないのである。
自分が暗いことを考えると、世界で暗いことが起こるし、自分が明るいことを考えると世界で明るいことが起こるということだから、思霊主義者のだれかひとりが、コロナ騒動がはじまったとき、「これ以降、悪いことは起こらない」と明るいことを考えれば、それで、食い止めることができたのだ。
しかも、この「明るいことを考えると明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」というのは、一般人から見て陰謀論者の発言なのだ。
たぶん、インテルじゃなくて、インテル信者(Qアノン)なのだろう。Qアノンも設計者側がつくった用語だ。
設計者側がつくった用語で議論をしてもしかたがない。これは、「シェディング」という用語でもおなじだ。けっきょく、思霊主義者であり陰謀論者である人は、進行形のとき、「自分が」暗いことを考えなければ暗いことが起こらないという考え方をもっていたのである。
けど、それだけでは、不十分で、「他人が」暗いことを考えることも禁じなければならなかったのである。
けど、自分が暗いとを考えなくても、他人が暗いことを考えなくても、計画の主体者であるやつらは、計画を推し進めていった。それは、思霊主義者であり陰謀論者である人にとっても「暗いこと」なのである。
自分が暗いことを考えず、ほかのだれにも暗いことを考えさせないように、がんばっていたとしても、次から次へと暗いことが起こっていったのである。
どうしてかというと、次から次へと(彼らが)計画を実行したからだ。
ようするに、もし、思霊主義者が、2018年以前に、「暗いことは起こらない」と思えば、暗いことは起こらなかったのである。もしも、思霊理論が正しいなら、そもそも、新型コロナパンデミックが起こらなかったのである。
思霊主義者は、自分のことを言っているのか、世界のことを言っているのか、常にあいまいにしている。そして、自分が思うと、世界がその通りになると思っているのか、他人が思っても世界がその通りになると思っているのか、はっきりさせない。
だから、自分のことなのか、世界のことなのかということについて、常に思考的な混乱があり、さらに、自分が思うことなのか、他人が思うことなのかということについても、混乱があるのだ。そういう人たちなのである。
この人たちは、言霊主義者のように、はっきりしたことを言わない。言霊主義者ははっきりしたことを言うけど……常に断言しまくっているような状態だけど……「言ったから」と「言ったあと」の混同と「言葉の力」と「言霊の力」の混同があるので、どっちの意味でも使えるようになっていて、そのぶんだけあいまいなことしか言わないということになっている。本人は、混同しているとも思ってないので、その都度、「正しい」と思うことを言うのである。けど、厳密に考えると、この人たちは、その場その場で、異なったことを言っているのである。どうとでもとれるあいまいなことを言っているのである。本人が、意味的にあいまいなことを言っているというつもりがないだけで、あいまいなことを言っている。言霊主義者の話はここで終わりにして、思霊主義者の話にもどす。ともかく、思霊理論がただしいなら、自分が「明るいこと」を考えて、自分が「暗いこと」を考えなければ、それ以降は、一切合切、暗いことは起こらないということになるのである。もし、現在進行形で暗いことが起こっているというのであれば、それは、思霊理論がまちがっているということになる。ならざるをえない。そして、自分が「暗いこと」を考えなければ暗いことは起こらないと思っている一方で、他人が「暗いこと」を考えると暗いことが起こってしまうと思っているのだ。そして、自分が「暗いこと」を考えなければ暗いことは起こらない考えているなら、近い未来において、ディープステート側の人間が、悪いことをするということがなくなるのである。けど、もちろん、個人である自分が見ないふりをして、「起こらない」と思っていても、ディープステート側の人間が、計画通りに、細かい計画を次々に実行していくということになる。はっきり言えば、「暗いことを考えると暗いことが起こるから」「暗いことを考えないようにする」という対策では、なんの意味もないのだ。意味がないどころか、逆に、ディープステート側の人間に協力をしてしまっていることになる。そりゃ、見てみぬふりをして、「考えるな」とほかの人に言って、計画がスムーズに抵抗なく進むようにしてしまう。「考えるな」というのは、「暗いことを考えるな」ということだ。こんな無防備な状態はない。敵から攻撃をされているのに、それは見ないことにして「明るいことを考えましょう」と言っているのとおなじだ。敵から攻撃されているのに「暗いことを考えなければ、敵から攻撃されるという暗いことは起こらない」と考えて、見ても見ないふりを決め込むということだ。
ともかく、「思いが現実化する」とか「明るいことを考えれば明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」ということが正しいなら、すぐにでも、ディープステート側の行動を食い止めることができるのである。
けど、個人が「暗いことを考えないようにしても」暗いことを実行するやつらがいる限り、暗いことを実行するのである。計画をたてて、暗いことをしようとしているやつらは、暗いことを次々と実行していくのである。
それは、あいつらにとっては、明るいことかもしれないけど、やられるこっち側の人間にとっては、たいへん暗いことだ。
ともかく、どの時点でも、思霊理論が正しいなら、「暗いことを考えない」ことで、やつらの計画を頓挫させることができるのである。
ところが、そんなことを言っているあいだに、次々に、あいつらの計画が、実行されてしまうのである。この、実行されている期間中に「暗いことを考えると暗いことが起こるから、暗いことを考えないようにしましょう」なんて、やられる側に言ったってしかたがないのだ。こういうところで、ろくでもない行為をしている。
だいたい、恐怖があるから、「暗いことを考えないようにしよう」と言っているのである。暗いことが起こっているという認識があるのである。だから、さいちゅうだと言っているでしょ。現在進行形だと言っているでしょ。
* * *
たとえば、Cさんが2016年に「これから、悪いことは起こらない」と思ったとする。思ったのだから、新型コロナパンデミックなんて、起こらないのだ。プランとしてパンデミックを起こすということを計画した人たちがいても、Cさんが「これから、悪いことは起こらない」と思ったので、新型コロナパンデミックは起こらないのだ。もし、思霊理論が正しいなら、そうなる。だれかひとりが「これから、悪いことは起こらない」と思ったら、その瞬間から、悪いことは起こらないようになるのだ。「悪いことが起こると思うと、悪いことが起こり、いいことが起こると思えば、いいことが起こる」というような思霊理論は、ずっとまえから、言われていたことだ。だいたい、ぼくは、思霊主義者じゃないけど、「これから、悪いことは起こらない」と中学生のときに思ったことがある。ところが、2019年に新型コロナパンデミックが起こった。言霊理論というのは、だれが思うかを区別しないので、ぼくが思っても、思ったとおりになるはずなのだ。もし、ぼくが思って思ったとおりにならないのであれば……現実がぼくが思ったとおりにならないのであれば、それは、言霊理論がまちがっているということなのである。実際には、新型コロナパンデミックと言うのは、計画されたものであるから、新型コロナプランでミックだということになる。ちゃんと、悪いことが起こっている。悪いことを計画したやつらが、悪いことを引き起こしている。それは、ぼくが中学生のときに「これから悪いことは起こらない」と思ったにもかかわらず、起きているのである。思霊理論はまちがっている。まあ、こういうことを言うと、思霊理論を信じてない人が思っても効果はないとか言いはじめると思う。けど、そいつらだって、人生のなかで「これから悪いことは起こらない」と思ったことがあるはずだ。過去の時点でそう思ったのに、実際には、悪いことが起きたということを経験しているはずだ。思霊主義者だって、思った通りのことが起こらなかったということを経験しているはずだ。思霊主義者だって、思ってなかったことが起きたということを、経験したはずだ。思霊を信じていたって、そういうことがあったはずだ。
通貨というのは単なるお札だという理論がある。これが、本質的には正しい。この考えに立てば、財政均衡なんて関係がないということになる。刷ればいいのだから……。
基本いまの日銀(日本銀行)というのは、政府の銀行ではない。ディープステートと政府の銀行だった。政府がディープステートの下部組織なのだから、ディープステートの銀行だと言っても過言ではない。これが、金融奴隷制度のかなめなので、これは、破壊しておく必要がある。ようするに、政府をディープステートから解放して、日銀を政府の銀行にしなければならない。
単なるお札なんだけど……おカネと言うのは単なるお札なのだけど、「なんとなく信頼のおけるもの」でなければならないのだ。こっちは、人間の精神性の問題だ。だから、金(きん)とむすびつけておけばいい。金(きん)が量的に足りなくても、カネを刷ればいい。ようするに、カネに対して金の価値があがればいい。けど、金の流通量とものの流通量の関係課は、そこそこ、安定していなければならない。無尽蔵に吸っていいというわけではない。じゃあ、なにを基準して考えるべきなのかというと、ものの流通量だ。ものと書いたけど、サービスも含まれる。そして、問題なのは、銀行の信用創造なのだ。信用創造というしくみは、破壊しなければならない。
まあ、基本、まったくわかってない人は、ぼくの言っていることがまったくわからないと思う。これ、もう、次元がちがうんだわ。財政均衡なんて言っているやつらは、経済学がまったくわかってないやつらだ。
だるいと「いいやもう」という気持になる。
引き続き、あの薬を飲むしかないか。
しかし、勧誘するなと張り紙をしてあるのに、ガスの勧誘をしやがって……。ワク臭をふりまくな。
さて、俺はどうするかな?
今後の変化は見たいような気がする。しかし、イーロン・マスクの動きを見ていると、「これ、ほんとうに大丈夫なのかな」という感じはする。とりあえず、白と言っておくけど、白は、人間機械化(人間と電子回路の融合)に関しては、ノリノリなんだよなぁ。けど、まあ、いいや。白が白なのかという問題はずっとあった。けど、この問題は、あつかいたくないなぁ。ものすごく低レベルなことをやっているわけだからさ。いや、前投稿でコメディだと書いたけど、これ、民衆のレベルに合わせているのである。彼らが民衆をどういうふうに考えているかわかる。
ともかく、でかい動きがある。そして、ぼく個人の動きというのが、全体に(それほど?)(まったく?)影響をあたえないのである。これ、自分の無力さを思い知らされるイベントになったなぁ。まあ、ぼくは、できる限りのことはやった。けど、たとえば、白とか黒という勢力があり、その勢力が出す情報を信じている人たちがいる。信じていると書いたけど、妄信している。これ、言ってみれば、どっちにしろ、だまされているのである。そういう力をもっている。嘘をつく力をもっている。公的な権力が嘘をついたら、その嘘を、嘘だと思わない人たちばかりなのである。この人たちが今回、どうなるのかということに関しては、書くわけにはいかない。
昨日のトランスミッション(シェディング)で、喉がいたくなった。「いたくなった」と言っても、たいしていたくない。むかしの表現だと「えへんむし」みたいな感じ。喉がイガイガな感じだ。○○は効かなかったか。じつは、いま別の〇〇をきらしている。到着をまつしかない。
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片づけなんだけど「もう、いやだな」という感じがする。もう、ほんとうに、いやなのだ。
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やっと11月2日。ながい。ながい。ながい。
アメリカの状態は、「もう、なんでもあり」になっている。シリアスな映画が、コメディ映画になったなぁ。もう、コメディ映画。これ、もう、なんでもありだ。これで、芝居をしているということに気がつかないやつがいるのか? これで!
ほんとう、もう、コメディだよなぁ。
それでも、まだ、日本人の9割が、わかってないわけだからなぁ。あーー、いやだなぁーー。いやだなぁーー。
このさき、どうするかな? やっと11月1日になった。よかったよかった。しかし、まだ、1日。長い。もう、いいかげんにしてくれ。
工事にかこまれているような感じで、洗濯物を干せない。風にのって、解体中に出るほこりがこっちにくることもあるよなぁ。洗濯物に、ちょっとでも、そういうものがついてほしくない。けど、いたるところで工事をしているから、これ、今年中には終わらないよ。どうするかな? たしょう、ほこりがついても、干すべきかな?
あとは、まあ、昨日、ネットスーパーで食料品を買った。昨日は、あっちの手違いで、なんか、ほかの人の購入商品もまじってしまったみたいで、「これを買いましたか」というようなことを聞かれたので、確認した。けど、スポンジたわしをぼくが買ったのだけど、一度、ほかの人のところに届けてしまい、あとになって、スポンジたわしをぼくのところにもってきたのだ。ほんとう、いろいろたいへんだよね。あの人は、まじめないい人(みたい)だから、なんか、同情する。
ともかく、食料品をゲットした。スポンジたわしもゲットした。カレーとかスパゲッティーを食べると、スポンジたわしがぬめぬめになりやすい。
あーー。別のところの工事が本格的にうるさくなってきた。がーーーっとやっている。どうするかな?
まあ、ほんとうは、引っ越しの用意をするべきなんだよな。どうしても、片づける気がしない。片づけるとなると、ダニに刺されるのだ。じつは、手の甲を、刺青のように刺された部分があり、そこが気になっている。これは、9月に刺されたものなのだけど、まだ、残っている。ほんとうにすごい医療機器が登場するのか?
いつも読んでくださるかたに感謝しております