2024年11月30日土曜日

けど、まあ、焼き芋は、まじでうまい

 まじで、めんどい。つらい。いま、焼き芋をつくろうと思って、サツマイモを切ったのだけど、かたいのでけっこうつらい。横断、縦断するように切らないと、オーブントースターにはいらいのだ。けど、焼き芋は、うまい。何度か、試しに食べている。ジャガイモも、食べた。サツマイモにもいろいろな種類があるので、いろいろな種類を買っている。ネットスーパーの「サツマイモ」のところに、いろいろな地域のサツマイモが出てくるので、買っている。それぞれに、特徴がある。オーブントースターでまるごと、やるのはむりだ。高さがちがいすぎると、問題がある。なるべく、高さをそろえてやらないとだめなのだ。ガラス容器にいれたとき、なるべく3センチぐらいの高さになるように調整する必要がある。断面に土がついてしまうときがあるので、洗うわけだけど、水がつめたい。

けど、まあ、焼き芋は、まじでうまい。子どものころの気持ちになって、ほくほく食べている。

オーブントースターのスイッチを入れて、しばらくしたら、電気がとんだ。エアコン、電子ジャー、オーブントースターの組み合わせで、ブレーカーが作動する。電子ジャーは、うち釜ヒーターの温度が時間でかわるので、たぶん、電子ジャーの問題なのだろう。オーブントースターのスイッチ入れて5分間ぐらいは平気だったのだけど、急にいってしまった。電子ジャーが炊飯モードのとき、電気が切れてしまうと、やっかいなのだ。なんとか、途中から炊飯できたけど、手探りで、やったら、たまたまできたという感じで、なるべく、そういうことが起こらないようにしたほうがいい。「そういえば、途中で電気が切れたときの残り炊飯時間復帰法」というのが、マニュアルに書いてあったような気がしたのだけど、マニュアルが見あたらないので、試しにいじっていたら、なんとかなった。

2024年11月29日金曜日

まあ、正直言ってつまらないよなぁ

  まあ、正直言ってつまらないよなぁ。長期騒音で破壊された若いころがほしいと言っても、若いころがかえってくるわけじゃないしなぁ。外的な状態というのは、いろいろと、まずいことになっているからなぁ。まあ、鈍感なやつは、気がつかない。鈍感なやつが、事実の2割を知るのに、あと、5年ぐらいかかりそうだからなぁ。

むわーーんと、つらい

 なんとか、文章を書ける状態になった。正直言って、いろいろとつらい。からだがだるいんだよなぁ。からだが、むわーーんとだるいときがあって、どうにもならない。かなり、相当につらい。こういうときは、なにもする気がしない。かなり、むわーーんと、つらい。


2024年11月27日水曜日

あとでけす

 これ、ほんとう、トランプさんはどのへんまで、あきらかにするつもりなんだろうな? とりあえず、2025年の4月あたりまでに10%ぐらい、同年7月あたりまでに20%ぐらい、あきらかになるといいなぁ。まだまだ、時間がかかるなぁ。特にワクチンのことに関しては、トランプ政権が続くあいだ、20%ぐらいしか、あきらかにされないかもしれない。まあ、ロバートさんに期待。

すぐに消す

 あまりにも、正直に活動しすぎたのかな?

けど、実際、ああするしかなかったんだよな。まあ、黒がインテルやその他のSNSアルバイトを送り出して、陰謀論者に対してものすごくダメなイメージをつくっていた。一般人が陰謀論者に対して、嫌悪感をもつように、調整していた。で、何の疑いもなく、その戦略にのっかってしまった人は、「陰謀論者はいやなやつだ」「陰謀論者はきちがいだ」と思うようになるので、陰謀論についてまともに議論することができなくなってしまった。そりゃ、そうだろ。ちょっとでも陰謀論的な内容を含んでいたら、院暴論だということになり、陰謀論を言ってるやつは、バカだということになるのだから、議論なんてできるわけがない。白によって、ようするに、計画が頓挫したわけだけど、第1段階から第2段階、第2段階から第3段階へ進むように、ち密に計画されていたわけだ。第1段階を阻止しなければ、第2段階に移行してしまう。たとえば、第1段階が社会人の80%(以上)にワクチンを打たせるというものだったら、社会人の80%(以上)がワクチンを打ってしまった時点で、第2段階の用意ができて、第2段階に突入する。たとえば、最初は1回打てば10年はもつ」と言っていたのに、「2回打たないとだめだ」ということになる。一般人は軽くだまされて、「2回打たないとだめなのか」と思って2回目を打つ。けど、これは、「社会」が彼らに負けたということだ。社会人の80%(以上)がワクチンを2回、打ってしまった時点で第3段階の用意ができて、第3段階に突入する。たとえ、「ワクチンを打つのも自由。打たないのも自由」と言っていたとしても、社会全体で、ワクチン強制化に突き進むようになり、打たない自由はなくなるという計画だったのだ。ようするに、「ワクチンを打つのも自由。打たないのも自由」と言っていた人は、自分の「打たない権利」はいつまでも保証されるはずだという見込みで、そういう発言をしていたのだけど、そうはならないのだ。実際には、白が阻止したので、強制接種はなかったけど、彼らの計画通りに進んでいたら、強制接種になっていた。「ワクチンを打つのも自由。打たないのも自由」というのは、じつは、正しい。平時であれば正しい意見なのだ。ところが、これは、彼らに悪意がないという前提の話なのだ。彼らには悪意があるので、「ワクチンを打つのも自由。打たないのも自由」と言わないで、なるべく、一般人にワクチンを打たないように言うことが、正しい行動だということになる。けど、反ワクは、陰謀論者で、バカできちがいなので……たいへんうけがわるい。一般人にとっては、反ワクは、そういうものとして映っているのだ。だから、自分の保身を考えるのであれば、「ワクチンを打つのも自由。打たないのも自由」と言い続けなければならなかった。けど、それは、知ってしまった以上、できない。ぼくは、当時(2019年-2020年)、親父の入院や退院、ネズミ処理、ダニ処理、竹処理、その他の植物処理で、手がいっぱいだったので、じつは、ワクチンにはほとんどまったく関心がなかった。だから、この時点では「ワクチンを打つのも自由。打たないのも自由」「仲良くしてくれればいいのにな」というような意見をもっていた。大規模なダニ処理が終わって、ネットを見たら、たいへんなことになっていた。このときまで……2021年の10月まで、(ワクチンには)ほとんど関心がなかった。ダニ処理のことで頭がいっぱいだった。けど、大規模なダニ処理のあとも、けっきょくは、ネズミの侵入をうけたので、ダニにはやられることになる。いまでも、一般人は政府やテレビ局を信用していると思う。けど、その信用は、うらぎられる。政府やテレビ局を信用するべきではないというのは、正しい陰謀論だ。

すぐに消す

 その通り。キリスト教でも仏教でも、宗教組織に属している人は、悪魔教に属している人たちなのである。どの宗派のキリスト教でも、どの宗派の仏教でも、宗教法人になっているところは、みんな、悪魔教の一部になっている。ようするに、ずっと上にあがっていけば、ディープステートにいきつくのだ。この宗教的な人というのは、ほんとうは、悪魔に使えている人たちで、それなりに、社会に悪い影響をあたえている。これは、宗教組織に所属している人たちだけではなくて、ゆるい感じで精神世界を信じている人にもあてはまる。残念だけど、いまは、そういうことになっている。ちょっとずつ、悪い教えが混じっているのだ。あるいは、どの教えにも、悪魔的な教えが混じっている。そして、これを、神の教えだと思ってしまうのだ。……この人たちは。だから、もうむりだ。洗脳をとくのはむりだ。ぼくが、他の人たちからの反感を感じながらも、精神世界的な考え方を批判してきたのは、精神世界的な考え方のなかに、悪魔的な教えがまじっているからだ。精神世界的な考え方に悪魔が忍び寄っている。けど、神がきていると勘違いしてしまう。

『本体スイッチがないやつは、これで、どうにかしよう』と思った

 あたらしい電気アンカの性能がすごい。まあ、普通なんだけど、けっこういい感じで使っている。電気アンカを使うと、エアコンの暖房代も安くできる。しかし、まあ、どうするかな? 「動きたくない」と思っているあいだに、時間がどんどんたっていくなぁ。

他の人の暮らしもたいしたことはないんだけどなぁ。まあ、俺よりは、楽しんでいるんだろうな。あの人たちには、長期騒音やきちがい家族の問題がいないからなぁ。まあ、家族のことを書くと、人がどっと、はなれるねぇ。まあ、それはいいや。俺は、書きたいことしか書かない。

電気アンカのコードは長くて助かるのだけど、じつは、本体のスイッチがない。電源コードをコンセントからぬくと、オフにできて、電源コードをコンセントにさすとオンになるのだ。電源スイッチがないのは、きついので、スイッチ付き電源タップを買った。これは、すぐれものだ。コンセントに、スイッチ付き電源タップをさすと、電源タップについているスイッチで、電源のオンオフができるようになるのだ。なので、買った。これも、むかしかったやつより、今回買ったやつのほうが、安いのに俺ごのみだ。インジケーター用のランプがひかえめなやつがよいのだ。これ、インジケーター用のランプと言うよりも、インジケーターと言ったほうがいいんだけどなぁ。ともかく、通電しているのか通電していないのかを、しめすライトがついていて、そのライトの光量が低いほうがいい。以前買ったやつは、光量が高いので、だめだ。ともかく、今回は、安くていいものを買えたというわけ。

で、まあ、実際に使ってみると、やはり便利なのだ。『本体スイッチがないやつは、これで、どうにかしよう』と思った。 

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使ったものは、これです。

オーム(OHM) 電機 2口タップ袋LEDスイッチ HS-TMP2B2-W
 

 

 

2024年11月24日日曜日

おカネがあるということは、たとえ、おカネを使わない場合でも、幸福感に影響をあたえる

 幸福でも不幸でもない状態をゼロ地点と言っておこう。

おカネがないことによって将来の不安があるとする。

この場合、すでに、ゼロ地点ではないと考えるか、不安を感じているだけなのだから、幸福でも不幸でもないゼロ地点だと考えるかのちがいがある。

あるいは、たとえば、会社に行きたくない会社員がいるとする。たとえば、Aさんだとする。Aさんが会社に行きたくないのには理由がある。それは、Aさんが失敗をしやすく、他の人から文句を言われやすいからだとする。

会社において……つまり職場において、Aさんが不愉快だと感じる出来事が実際に多数発生したとする。ようするに、Aさんが職場に行きたくないと考えるのには、現実的な根拠があるとする。

その場合、Aさんが「明日、会社に行きたくないなぁ」と考えているとき、Aさんは、幸福でも不幸でもないゼロ地点にいると考えるべきなのだろうか? 

それとも、「明日、会社に行きたくないなぁ」とネガティブなことを考えているのだから、ゼロ地点よりも、不幸な地点にいる考えるべきなのだろうか? 

ようするに、このときAさんはゼロ地点にいないと考えるべきなのだろうか?

また、Aさんがお金をかせぐために会社に行っているとする。お金をかせぐ必要がなければ、Aさんは、会社に行かないとする。その場合、Aさんが会社をやめても生活できるぐらいのじゅうぶんなカネをもっている場合は、会社をやめるということが選択できる。

しかし、Aさんが、じゅうぶんなカネをもってない場合は、会社をやめるという選択をしにくい状態になっている。もちろん、その会社をやめて別の会社に行くと、その会社をやめて自分で起業するということなども、考えられる。

しかし、じゅうぶんなカネがない場合は、行きたくない会社に行くという選択をしやすくなる。じゅうぶんなカネがある場合は、行きたくない会社に行かないという選択をしやすくなる。

これは、幸福度に影響をあたえるだろう。つまり、Aさんの幸福感に影響をあたえるだろう。

おカネがあるということは、やりたくないことをさける力(ちから)に影響をあたえる。これも、未来のことに関する現在の幸福感に影響をあたえる。

おカネがないよりも、おカネがあるほうが、やりたくないことをさける力が強いということであり、おカネがあるということは、たとえ、おカネを使わない場合でも、幸福感に影響をあたえる。

2024年11月22日金曜日

「世代間の闘争」をあおっているところがある

 Youtubeなどの動画サイトで、わりと、世代の話があがってくる。まあ、ぼくが見ているものを反映しているのだけどね……。まあ、ネットでも、世間的な話の一部として、世代間の話があると思う。けど、これ、有害だと思うんだよね。「世代」でひとを「ひとくくり」にして、こういう特徴があるという話は、ステレオタイプの偏見を助長するものではないかと思う。これ、はっきり言って、「世代間の闘争」をあおっているところがある。「こいつらは、こういうやつらだ」と決めつけて、話をするわけなんだけど、おなじ世代でも、人がちがえば、まったくちがった特徴をもっている。「大雑把に言って」こういうところがある……。だから? なに? こんなの、血液型占いとおなじで、あんまり意味がない。「わかりやすくする」というところで、価値があると思っている人もいるかもしれないけど、「わかりやすくする」というのは、ようするに、「ひとくくりにして決めつける」ということだ。いいことじゃない。

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年金受取世代と年金制度をささえる世代の対立もあるみたいなんだけど、これは、ちょっと誇張して言われているのではないかと思う。別に調べたわけじゃないけど、損益分岐点をこえて、生きている人というのは、むしろ、少数派なのではないかと思う。

これは、調べたわけじゃないからわからない。多数派の人は、自分がおさめた分の年金を回収できずにこの世をさるのではないかと思う。

ようするに、ほんとうに、過剰に負担になっているかどうかわからない。負担にはなっているのだけど、一般的なイメージのように、過剰に負担になっているかどうかは、わからない。

年金の問題というよりは、医療費の問題なんじゃないかと思っている。ようするに、高齢者の医療費が問題になっているのではないかと思う。年金制度の話と、医療費の話は、別だ。

このあいだ、日本国の借金に、利息を払う必要がないと言ったけど、税金や社会保障費というのは、こういう、見かけ上なんとなくイメージとして負担になっているところの問題じゃないと思う。日本国の借金にかかる利息をだれが払っているのかというと、国民なんだよ。税金として、とられている。けど、これは、本来、必要がない金なんだよ。利息は、払わなくていいから……。

社会において適度なインフレ率というのがある。適度なインフレ率にあわせて、貨幣(通貨)の供給量を年々、増やしていくのは、必要なことだ。

 

たいていのキムチは、発酵食品ではない……キムチ味の浅漬け

 いちおう、キムチは、発酵食品ということになっているのだけど、たいていのキムチは、発酵食品ではない。発酵させてない、浅漬けなのである。乳酸菌なんてはいっていない。ぼくとしては、発酵させてない、キムチ味の……浅漬けでもいいのだけど、いろいろと余分なものがはいっているのである。ぼくの場合、乳酸菌はどうでもいいのだけど、調味料(アミノ酸等)、pH調整剤が気になるのである。キムチ味の浅漬けでも、調味料(アミノ酸等)、pH調整剤がはいっていなければ、それでいいのだけど、たいていの、キムチ味の浅漬けだと、調味料(アミノ酸等)、pH調整剤がはいっている。

通販で買ったキムチが、クール便で届いたいので、ちょっと、問題がある。できれば、ネットスーパーで買いたい。 

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以下、未確認情報なので、信ぴょう性はない。

いちおう、乳酸菌で発酵させたキムチも、ソルビトールというものがはいっているものに関しては、発酵がとまっている。そして、乳酸菌は死滅した状態になっている。なので、乳酸菌を目的にしているなら、ソルビトールがはいっているものを食べるべきではない。

『年金世代 50万円の壁 見直しへ』・・『103万円の壁』は年収の話で、『50万円の壁』は月収の話。

 セミリタイア系の動画は、よく見ているんだけど、それに関連して、「年金世代 50万円の壁 見直しへ」というような動画が流れてきたので、見てしまった。

これ、ふざけた話なんだよね。

たとえば、年金を月換算で40万円もらっている人が、月に20万円、稼いでいるとする。月に20万円というのは、働いて稼いだお金だ。これが、新しい制度になると、年金を月換算で40万円以上もらえるようになるのである。まあ、検討している段階だけどね……。

こんな……月額40万円もらえるような人を対象にして、50万円の壁を打ち破ろうなんて、おかしい。このめぐまれた人たちがもらう年金が増えた分だけ、ほかの人たちの負担が増えるのである。こんなの、ない。……まあ、年金をささえる側の人たちの負担が増える。

月換算の年金受給額と、毎月の給与の合計が月に50万円をこえるやつのことなんて、考えなくてもいいんだよ。まあ、実際には、月給のほかに賞与も考えた値(金額)になる。

しかし、こんなの、ひどい。

老齢基礎年金の話ではなくて、老齢厚生年金の話だから、現役時代のとき、相当に稼いだやつの話なのである。

モデルケースが、ちがいすぎるんだよね。たとえば、年金が月換算で6万円、アルバイトをして6万円稼いでいる人のことじゃない。年金が月換算で6万円ということは、老齢基礎年金もフルにもらってないということになる。少ない老齢基礎年金と少ない老齢厚生年金やたして、月換算で6万円以下ということはありえる。

しかし、月換算で50万円もらえる人は、いったいどれだけいるのか?

「50万の壁」を突破している人たちは、高収入で、おカネがある人たちだ。この人たちは、別に、働かなくても、じゅうぶんに暮らせる人たちなのである。

この人たちは、一般の高齢者じゃない。働くといっても、普通の高齢者が働く現場とはちがうところで働いている人たちだ。キャリアがあるから、そういうところで働けるのだろう。ということは、ほんとうにまったくカネにはこまってない人たちなのである。

「シニア世代の働き控え解消目的も……」ということなのだけど、そもそも、この対象になる人の働き控えというのは、まったく問題になってないことなのである。

ようするに、社会に必要な仕事をしている人たちではないのである。社会に必要な仕事をしている人たちは、もともと、『50万の壁』にまったくとどかない人たちなので、制度がかわっても、いいことがない。

月額換算で50万円だからね。年収じゃないからね。年収に換算すれば、『600万円の壁』ということになる。年金をもらっている人の『600万円の壁』なんて、意味がない。

たいていの年金暮らしをしている人は、年収で600万円ももらってないから、そもそも、意味がない話なんだよ。年金をもらっている年齢でなおかつ働いている人のうち、どれだけの人が、『600万円の壁』をこえているのかという話だ。

『103万円の壁』は年収の話で、『50万円の壁』は月収の話。ここのところを、まちがえないようにしよう~~。

いつになったら気がつくんだ?

 いったい、鈍感な人たちは、いつになったら気がつくんだ? もーー、いやだ。


2024年11月21日木曜日

つまらないから、横になる

 つまらないから、横になる。やらなければならないことは、いっぱいあるのだけど、やる気がしない。

さて、どうするかな?

今後、2年間、どうするかな?

2年間でだいぶかわると思うんだよね。ぼくにとっては、いいほうにかわる。だから、なんとか、耐え忍んで、生きていくしかないなぁ。

 

2024年11月20日水曜日

む・な・し・い。やばい。

 あーーあ。むなしいーー。むなしい。こういうときは、コーヒーを飲みたくなる。けど、コーヒーを飲むと蕁麻疹が出ることは、わかっている。なぜか、一日遅れて出てくる。腹がいたくなる確率は70%ぐらいだなぁ。この雰囲気は、コーヒーを飲みたくなる雰囲気だ。

む・な・し・い。やばい。

日本国が、日本国に借金をする場合は、利息を払わなくてもいい

 政府とか中央銀行という話をすると、わからなくなってしまうのだけど、国が国に借金をする場合は、借金の利息を払わなくていいのだ。国と言っても、他国に借金をする場合はちがう。借金をするなら、利息を払わなければならないということになっている。ここで言う「国」というのは、自国のことだ。たとえば、日本国が、日本国に借金をする場合は、利息を払わなくてもいいのである。そうしなければならないのである。

残念なことに……「札(ふだ)理論」は正しい。多くの人が信じていることがまちがっていたということだ。


FRB

 ドナルド・トランプがFRB関係についてなにをしようとしているのかということについて、ちょっと書いておこう。FRBといのは、アメリカの中央銀行だと思っている人がいるかもしれないけど、中央銀行じゃない。ようするに、政府の銀行ではないのだ。ドナルド・トランプがやろうとしていることは、FRBを政府の銀行にすることだ。この、FRBをほんとうの意味で政府の銀行にするということは、とても、たいせつなことだ。ほかのことの根幹になるようなことで、何度も言うけど、とても、たいせつなことだ。

で、BRICSの通貨改革も、ドナルド・トランプのこの動きに、リンクしている。車の前輪と後輪のようなもので、どっちも必要なのだ。ようするに、たとえば、トランプとプーチンが対立していると考えるべきではない。FRBを真の意味で政府の銀行にするということと、BIRCSの通貨改革は、おなじものを目指していて、リンクしている。

ほとんどの人がわかってないことだけど、とても、重要なことだ。この流れをつかんでおくというのは、どの投資本を読むことよりも重要なこと。

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FRB(Federal Reserve Board)→連邦準備制度理事会→単なる理事会。
FRB(Federal Reserve Bank)→連邦準備銀行→地区連銀(銀行だけど株式会社)。
FED(Federal Reserve System)米国の連邦準備制度→制度。複数の組織が関与。

雑感

 
たとえば、俺が死んだとする。けど、俺の記憶をもつクローンがつくられたとする。その場合、ほかの人から見ると、俺が生き返ったように見える。けど、ぼくは、死んでいる。けど、俺は死んだ。

たとえば、ぼくが死ぬ前に、ぼくの記憶をぜんぶ、生命的な電子回路にうつしかえたとする。そして、ある人に頼んでおいて、クローンをつくってもらい、そのクローンの脳をとって、ぼくの生命的な電子回路に置き換えたする。その場合、ぼくは、死んだのだろうか? それとも、いちおう、ぼくと存続しているのだろうか。感情思考に関する脳みその部分がないクローンを(最初から)つくる場合も含む。

たとえば、ぼくが死ぬ前に、ぼくの記憶をぜんぶ、電子回路にうつしかえたとする。そして、ある人に頼んでおいて、クローンをつくってもらい、そのクローンの脳に、電子回路の記憶をうつしたとする。その場合、ぼくは、死んだのだろうか? それとも、いちおう、ぼくと存続しているのだろうか。


2024年11月19日火曜日

後で消す

 老後資金はだいぶ減るけど、はやいとこ、家を買うしかないなぁ。しかし、踏ん切りがつかない。踏ん切りがつかない。自転車屋で、目をやられたことが、トラウマになっていて、不動産屋とか、行きたくない。まあ、それだけじゃないんだけどね。金銭的に、踏ん切りがつかない。

後で消す

 いちいち、すべてが、めんどうくさいんだよ。腰があがらない。今回、竹と木を切ったけど、これも、ほんとうは、やる気がなかった。切羽詰まって動くしかないから、動いたのだけど……。まあ、これも、ほんとうは、造園業者にまかせたほうがいいんだよな。けど、造園業者に電話するのが、いやなんだよ。いやなんだなぁ。

いま、靴下をはいた。段ボール箱に入っている靴下をとりだしてはいたわけだけど、段ボールの世話がいやなんだよ。そして、靴下を段ボール箱からとりだしてはくというのが、ものすごく、めんどいんだよ。まだ、段ボール箱は解体してない。たとえば、靴下を出した時点で、段ボールの箱もちゃんと解体して、すでに束ねてある段ボールに「合流」させたほうがいいわけ。けど、めんどうだからやらない。破壊的にめんどう。もう、根本的に、エネルギーがないので、木と竹を切った時点で、ぼくのエネルギーは枯渇した状態になっている。それを無視して、なんと、風呂に入ったわけ。だから、もうこの時点で、だめなんだよ。段ボールの世話をするのが、破滅的にめんどうくさい。


ともかく、背の高い竹と、背の高い木は、切った。

 じつは、外に出て、近くで竹を見たら、3メートル数十センチどころか、4メートル数十センチになっていた。ひょっとしたら、5メートルぐらいかもしれない。そして、竹だけではなくて、親父が、垣根用?に植えていた、区切りようの木があるのだけど、それも、4メートルぐらいに育っていた。そして、この木が邪魔で、竹に近づけないのだ。しかたがないので、その木の手前にある別の竹を切って、気に近づき、その木を切って、5メートルぐらい竹に近づくことにした。「別の竹」というも、3メートルぐらいあった。そして、横に、張り出している枝があった。この横にはりだしている(竹の)枝が、じゃまでじゃまで、排除するのに、苦労した。そして、木を高さ1メートルぐらいのところで切った。そして、そのあと、5メートルぐらいの竹を切ろうとしたのだけど、これがやっかいで、なかなかうまくいかなかった。竹に、隣の家の「ツル系」の植物が絡みついているのである。そして、竹の枝と木の枝が、絡み合って、うまく排除することができないのである。なんとか、竹と木を、切った。けど、いいにくいのだけど、木が、縁台の上にある(親父作成の)ひさしルーフみたいなものの上にのっかって、どうしても、排除することができない。けど、まあ、隣の家に迷惑がかからなければいいので、ひさしルーフの上に、木がのっている状態になっている。もう、きれいに排除する気力がなくなったので、やめた。けっきょく、5メートルぐらいの竹と、その近くにっあった木を、切った。だいたい、地上1メートルぐらいで切った。一度、5メートルぐらいの竹を切ったあと、やめるつもりになったのだけど、4メートルぐらいある木をそのまま放置するのは、問題があると思って、それも切った。けど、やめておけばよかったといまでは、思っている。というのは、まず、なんか、虫に刺されたのである。それから、指の一部を切った。いま、消毒液をつけたのだけど、しみる。

作業をしたあと、自分の部屋に戻り、風呂に入った。風呂から出たあと、消毒液をつけた。ズボンの腹ふきんのラインを、なんかの虫に刺された。そして、風呂に入ったら、もともとかゆかった、足首のかゆさが、また、猛烈に復活した。これは、熱で、かゆくなる。

あとは、じつは、二階にあがってくるとき、しかけておいたネズミシートが、ちょっと折れた感じになっていた。これは、言いがたいのだけど、コの字型にしておいた部分を、⊿型(さんかくがた)にされたという感じだ。ふすまがずれているのだけど、うしろに本箱があって、部屋に入って、本箱を動かさないと、うまく、(ふすまを)レールにのせることができないのだ。あそこが、こんなに問題になるとは思わなかった。

ともかく、引っ越しをいそぐしかない。あと、手袋を通販で買っておいた。

ともかく、ほんとうは、引っ越すしかないのだけど、これもこれで、踏ん切りがつかない部分があるのである。ともかく、背の高い竹と、背の高い木は、切った。

*     *     *

手短に言うと、木を植えたのは親父だし、竹を植えたのも親父なんだよね。そして、ネズミをおびきよせたのも親父だ。親父がやったことがどこまでもたたっている。そもそも、家の位置が問題なのである。東側は、じつはずっと、空き地だった。この家が東側によりすぎている。そして、北側によりすぎている。これが、いろいろな問題を巻き起こすのである。

ともかく、リフォーム系は、だめだ。この家は、だめだ。

しかし、ネズミは問題だ。どうするかな? 頭がいたい。もう、いやなんだよね。木、雑草、竹、ネズミ、ダニ……。もう、いやだ。

ほんとうは、中古マンションに、すぐに引っ越すつもりだった。 

正直に言うと、ほんとうに造園業者に連絡を入れるのも、粗大ごみ業者に連絡を入れるのも、いやなのである。いやなんだよ。いやなのーーーーーーー。気持ちが落ち込む。できればやりたくないことだ。もう、ここに住んでないなら、問題はないんだけどな。そのほうが、気が楽だ。

それにしても、ふすまが斜めになっている部分がこんな問題を引き起こすとは思ってなかった。ネズミーーー。ネズミーーー。ネズミのことなんて、きちがい親父が、ネズミを入れるまで、考えたこともなかった。

谷の底から、ちょっとだけ、あがっている感じだね

 これ、ちょっと見え方がちがうと思うけど、社会的には、どん底から、ちょっと上昇してきている。谷の底から、ちょっとだけ、あがっている感じだね。けど、これから、問題が噴き出すわけだから、これから底だと思う人もいるかもしれない。というか、気がついてない人は、みんな、これから、底を経験することになる。けど、まあ、社会的には、『V字』の一番下のところから、ちょっとだけ、上にあがっている。

まあ、社会的にはそうなんだけど、ぼくはちょっと、いろいろと、くるしい。

2024年11月18日月曜日

アニメを見ているとき

 あーー。しかし、つまんない。ここまで、つまんないと、わらうしかないなぁ。いやーー。もう、わらえないけどさぁ。

「あのとき俺はあの人を傷つけてしまったのか」というようなことを思い出したりする。アニメを見ていても、これだからなぁ。アニメも安心して見れなくなった。それ以外に、こっちが腹立たしい話を、山ほど、思い出す。これも、アニメを見ているときなんかに、うかんでくる。まあ、起きたとたんにうかんできたり、夢のなかで再体験したりする。

アニメを見ているときに、いくつかの不愉快な思い出がどうしても、うかんできてしまう。

 

「割合が大きい」「割合が小さい」「割合が高い」「割合が低い」

 「割合」の場合は比率についてのべているのだから「大きい」「小さい」が正しいという意見がある。しかし、実際には「高い」「低い」という言い方も使われている。いままで、「割合が大きい」「割合が小さい」と書いてきたけど、これからは「割合が高い」「割合が低い」という言い方も使うかもしれない。理論的には「割合が高い」じゃなくて「割合が大きい」なんだよね。けど、ところどころで、「割合が高い」とか「割合が低い」と言いたくなる。

いや、実際には「きわめて低い割合」と言いたくなる。「きわめて小さな割合」ではなくて「きわめて低い割合」と言いたくなる。なんだか「小さな割合」よりも「低い割合」と言いたくなる。

2024年11月17日日曜日

雑感

 まじで、だるい。からだじゅうがだるい。これは、ダニにやられたからだろうか? なんか、ダニにやられたあと熱が出るような感じがするときがあるんだよな。今回もそうだったんだけど、なんか、足首を刺されてから、さらに、からだの調子が悪くなった。ただでも、シェディングで喉がいたい状態だったのに……。まだ、足首はかゆいのだけど、なんか、からだじゅうがだるい。

つまんない人生だなぁ。

雑感

 別にトランプが勝ったからといって、シェディング(トランスミッション)の問題が片づくわけではない。それは、わかっていた。

だいたい、トランプはワクチンに関しては「ふざけた推進派」あるいは、「おどけた推進派」だからなぁ。これの持つ意味が、わかるだろうか?

これ、ほんとうは、すごいことを意味している。けど、書かない。

とりあえず、打たなかった人は、これからの変化を経験するしかない。内側に、ダニ。外側にトランスミッションというめんどうなものをかかえている。なんか、ピンチなんだよなぁ。

雑感

どうしようかな? 足首がかゆいのは問題だ。これ、片づけたときにやられている。かゆいところがあると、片づけをする気になれない。いちおう、使い捨てブーツカバーはある。レインコート上下がある。しかし、めんどうだ。あとは、スチームがあやしいなぁ。ダニ退治のために、スチームを使ったんだけど、これが、ダメなのかもしれない。だいたい、風圧の調整ができないんだよな。ノズルから、対象まで80センチぐらいあると、温度が相当にさがっているかもしれない。

ともかく、めんどう。「こんなことを、何回、くりかえしているんだ?」と思う。いま、中古の家をウエブサイトで見てたんだけど、さきに買ってから、引っ越しの用意をしようかな。引っ越しの用意をしたあとじゃなくて、さきに買ってから、引っ越しの用意をしようかな。それにしても、ネズミの糞がなければ、粗大ごみ業者も、はやめに呼ぶことができたんだけどなぁ。そして、一回目の粗大ごみ処理のとき、バルサンをたいても、作業をする人がダニに刺されるということがわかってしまった。これが、でかいんだよなぁ。二回目のゴミ処理を(心理的に)たのめなくなってしまった。

もう、すべてがめんどうだな。

 うぃーー。4時間ぐらい眠った。今日は、風呂に入った。そのときも、足首がかゆかったんだけど、いまもかゆい。これ、復活するんだよ。かゆさが、猛烈に復活するときがある。いまも、かゆい。

これ、「生活の質」をさげる。

買い物もけっきょく、いやなものになってしまうんだよなぁ。

いま、ドアの横に置いてある、通販で買ったものを、とりに行ってたんだけど、そういうときもかゆいし、ネズミの糞を見かけてしまうと、不愉快な気持になる。

いいかげん、この状態から抜け出したけど、動けない。引っ越しとか工事とか、大きいことはしたくない。

通販で、靴下を買った。あんまり言いたくないけど、洗って、しまっておいたやつで、足首をやられた。

もう、すべてがめんどうだな。

予想外のことをきちがい親父がやる。魚を出しっぱなしにすることにこだわって、家中をくさくするなんてことは、考えてなかった。普通なら、一日目に注意しておしまいなんだけど、きちがいだから、絶対の意地で、ゆずらない。

ほんとうに、最後の最後まで、いつもあいつ(きちがい親父)はあんな感じだな。やることがおかしいんだよな。そして、修正がきかない。

親父がきちがい行為をしなければ、こっちの用事が増えないのに、きちがい行為をしてこっちの用事を増やす。致命的な状態においこむ。べつに「おいこもう」と思ってやってるわけではないんだよ。

けど、いつも、そうなる。

基本的には「修正がきかない」というのが、こまるんだよ。普通だったら「くさいからやめてくれ」のひとことで、すむ話なんだよ。それが、すまない。結果、こっちが、ネズミの糞処理をしなけばならなくなる。

結果、こっちが、ずっと何年間も、ダニに刺されることになる。ダニ対処でどれだけの服がむだになったかわからない。全部、あやしい服になってしまうのである。

2024年11月16日土曜日

無添加のキムチ

 急に、キムチが食べたくなったので、無添加のキムチを買ってみた。
『ベジタブルハート カナモト食品 信州望月高原 刻みキムチ 200g 4パック』
というもので、どんな味なのかは、わからない。

最初、無添加のキムチをネットスーパーで探したけど、なかったので、しかたがなく、アマゾンの通販で買った。キムチはめったに食べたくなるものではなく、たぶん、これを食べたら、しばらくは食べたくなくなるので、高いけどしかたがない。

ほんとう、人工甘味料とかアミノ酸等調味料とかpH調整剤などを入れないでくれよ。韓国キムチは寄生虫が気になるので、国産を買った。ネットスーパーで無添加キムチを売ってくれないかな。

2024年11月14日木曜日

雑感

 毎日、俺が、たいへん。

まあ、横になっている時間も長いけどな……。

しかし、つかれた。ほんとうに、つかれた。

どうするかな?

雑感いろいろ

 昨日の夜、足首のところが猛烈にかゆくなって、ひっかきまくっていた。当然、血が出る。ひっかいたところは、見ないようにして、かゆさをがまんしていたら、眠れた。これ、かゆいとげが刺さっているようなかゆさなんだよね。ダニに刺されたところが、突然かゆくなる。いまは、かゆくないけど、なんか熱が出るようにかゆくなるときがある。いちおう、ぶり返しという表現を使うと、何回かぶり返して、そのあと、なおる。8回ぐらい、ぶり返しがある。足首と足の甲を十数か所刺されたのだけど、それが、かゆくてかゆくて、たまらない。片足だけで、十数カ所だから、両足だと30カ所ぐらいかな。ともかく、かゆいんだよ。「うおーーっ」と雄たけびをあげたくなるほど、かゆくなる。はっきり言って、腹も立つ。

それで、原因になった片づけをやるかどうかまよっている。まあ、使い捨てのブーツカバー(足カバー)を買ったので、それを使うかな。じつは、長靴も買った。けど、長くつを買って、あそこで作業した場合、長靴のなかがやられる可能性があるんだよね。でっ、長靴を熱湯消毒?したあと、ちゃんと、はけるのかどうかわからない。長靴のなかで刺されてしまった場合、なんか、おなじところに足を入れるのがいやになるのだ。ほんとうに、殺せたかどうかわからない。でっ、長靴の内側が、布っぽくなっているので、完全に乾かすまでの時間が長い。じつは、数か月前に、布団乾燥機を買ったから、その段ボールをあける必要がある。この布団乾燥機は、室内乾燥機としても使えるし、靴乾燥機としても使える。ダニも殺せる。しかし、布団乾燥機を箱から出すのがめんどうなので、ずっと放置したままになっている。

長靴は手入れがたいへんそうだから、使い捨てのほうがいいなぁ。使い捨てブーツカバーは、布部分がないとこも、気に入っている。

ともかく、はやく、引っ越し先を見つけるべきなのだけど、これも、やる気がしない。動きたくないのだ。

いま、南側の工事をやっている。東側と南側(幼稚園側)はうるさくないなぁ。あっ、昼休みだからか。幼稚園には、工事の人がきている。

まあ、いろいろと、つかれたなぁ。

どうするかな?

引っ越してしまえば、あとは楽になると思う。まあ、何回かバルサンをたいて、粗大ごみの人にきてもらうしかないなぁ。そのあと、また、バルサンを何回かたいたあと、重装備で、ネズミの糞などを(俺が)片づけて、家をこわせる状態にしよう。まあ、こわすなら、ネズミの糞を片づけなくてもいいか。けど、下の部屋と、兄貴の部屋を同時にやることはできないから……。兄貴の部屋は、やっかいなんだよ。二周しなければならなくなるかもしれない。一回じゃ、おわらない。まず、粗大ごみ業者を呼べる状態にしなければならない。一回目から、兄貴の部屋にバルサンを置くわけにはいかないのだ。そのまえに、階段付近をどうにかしなければならない。階段付近をどうにかしたあと、やっと、兄貴の部屋に入れる状態になる。まあ、いいや。ここら辺、ちゃんと説明するのがめんどうくさい。

まあ、こんなことを書いたあとに思うんだよ。

「俺の人生なんだったんだろう」って。

2024年11月13日水曜日

近代的な市場経済システムと慣習のなかに溶け込んでいる経済システム

 近代的な市場経済システムというのは、それまでにある社会のきずな・慣習・文化・価値観を引き裂くものなのである。「社会のきずな・慣習、文化・価値観」と書いたけど、ひとことで言うと、慣習だ。ようするに、近代的な市場経済市システムをもつまえの社会というのは、まあ、慣習で成り立っている。

慣習というのは、価値観を代表したものなんだよ。そして、慣習には歴史的な意味があるんだよ。

ようするに、慣習が、経済を構成していた。

経済システムというのが、慣習のなかに「とけこんでいる」状態なのだ。ところが、社会の中に溶け込んでいる慣習を近代的な経済システムが破壊するのである。

ようするに、平和的な経済の移行であれ、戦争による植民地化であれ、(他国が)慣習がとけこんでいる経済システムを近代的な市場システムに書き換えていくのである。これは、排他的なものであって、慣習のほうは、いってみれば、近代的な市場経済システムをうけいれたときに、負けが決まっている。

市場経済システムのスケールで経済発展ということを考えると、とても低いレベルの経済発展レベルであるにもかかわらず、慣習がとけこんだ社会では、幸福度が、高いのである。

しかし、経済発展をするとともに、幸福度がさがるのである。ようするに、すでに高度に発展した市場経済システムをもつ社会からすれば、じゅうぶんに低い経済発展レベルでも、幸福度は、高いレベルでたもたれていたのである。

ところが、近代的な市場経済を導入すると、経済がとけこんでいる慣習をこわしてしまうので、幸福度がさがるのである。

ようするに、経済発展レベルが超・低い状態から、経済発展レベルが低い状態に「上昇」すると、それにともなって、幸福度がさがるのである。どうしてかというと、経済発展レベルが上昇したのは、じつは、慣習の中に溶け込んでいる経済システムの破壊がすすんだからなのだ。

たとえば、儀式というのは、じつは経済的な行為なのである。そして、市場経済システムに置き換わる仮定で、儀式が不要なものになり、儀式によってつくられていた人間のきずながほどけ、その結果、幸福度がさがるのである。

これ、儀式がとけこんでいる経済システムが、儀式がとけこんでいない経済システムに置き換わるので、それまで、儀式によって培われてきた人間関係の糸がほどけてしまうのである。

人間が幸福を感じるというのは、自分と(社会のなかの)他の人間や、自分と社会との関係において、幸福を感じるのである。なので、儀式の中に溶け込んでいた経済システムや慣習の中に溶け込んでいた経済システムが破壊されると、その分だけ、幸福度がさがるのである。

言ってみれば、市場経済システムが、文化を破壊するのである。

これ、未開な社会というものを考えみたばあい、どこまでが経済的な行為であり、どこまでが儀式的な行為であるのという境目がじつはないのである。おなじことは、慣習にも成り立つ。どこまでが経済的な行為であり、どこまでが慣習的な行為てあるのかという境目はない。

これは、おなじものを、どのような視点で見るのかということにつきる。ようするに、市場経済社会を見る目にならされていると、一見、まったく経済的な意味がない、儀式や慣習が、じつは、経済的な意味をもっているということに気がつかないのである。

なので、近代的な市場経済にさらされた時点で、社会は、改変されていくようになるのである。

時系列的には、慣習がとけこんだ経済システムのほうが、近代的な市場経済システムの浸透によって、破壊されていくのである。時系列的にいうと、近代市場経済システムをもつ他国が、影響をあたえていない状態から、小さい部分が近代市場経済システムに置き換わり、そのあと、大きな部分が近代市場経済システムに置き換わるのである。

この過程がすすむときに、価値の喪失を経験するのである。

これは、それまで、近代市場経済システムに浸食されていない部分が、部分的にその改変されていく状態のなかで、慣習がとけこんだ経済システムがだんだんと、近代市場経済システムに浸食されていく中で、慣習がとけこんだ経済システムが支えていた価値観がなくなるということなのである。

なので、価値観を共有できなくなり、そのぶん、価値観に支えられていた人間関係が希薄になるのである。ようするに、価値観に支えられていた幸福感がなくなる。価値観というのは、この場合、慣習がとけこんだ経済システムが支えていた価値観のことだ。

*     *     *

未開社会→近代的な市場経済発展度(ゼロ)→幸福度(大)

近代的な市場経済が浸透・部分的→幸福度(中)

 ↓

 近代的な市場経済が浸透・大部分→幸福度(低)

近代的な市場経済が発達したから、幸福度が低くなる。その社会(未開な社会)が市場経済的に発達したから、発達した分だけ、幸福度があがるのではなくて、発達した分だけ幸福度がさがる。

けどじゃあ、近代的な市場経済をうけいれてない未開社会に住む人は、みんな幸せなのかというとそうではないのだ。たとえば、飢饉がある。飢饉で、食べ物が食べられなくなれば、当然、幸福度がさがる。疫病がはやれば、幸福度がさがる。となりの国・隣の共同体がせめてくれば、幸福度がさがる。

けど、近代的な市場経済システムというのは、それまであった、慣習がとけこんでいる経済システムを破壊してしまうのである。慣習がとけこんでいる経済システムによって発生していたしあわせな出来事は、破壊される。

それから、ひとつの行為を儀式的な行為とみなすか、経済的な行為とみなすかという問題がつきまとっている。たとえば、結婚式について考えてみよう。結婚に関係する儀式だと思えば、結婚に関係する儀式なのである。そして、結婚式にまつわる行動を、経済的な行動だとみなせば、経済的な行動なのである。慣習がとけこんでいる社会においては、儀式そのものでしかないけど、ものの交換や参加者の飲み食いなど、儀式そのものが、経済的な活動を含んでいると言える。ようするに、結婚式にまつわる行動を、経済的な行動とみなすのか、儀式的な行動だとみなすのかによって、見え方がちがってるのである。じつは、結婚式のみならず、恋愛というものに関しても、近代的な市場経済システムは、その根本的な部分を書き換えてしまう。近代的な市場システムが供給するイメージにもとづいた恋愛を人々は模索するようになる。これは、映画やテレビ、デパートのような文化システムによってもたらされる。「物語」は、消費されるのである。「物語」が市場経済のなかで消費されて、個々人の頭のなかに「恋愛」というイメージがつくりあげられる。それは、原始共同体のなかの「恋愛」とは意味合いがちがうのである。

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参考文献
カール ポランニー 『経済の文明史』
カール ポランニー 『大転換 市場社会の形成と崩壊』
栗本慎一郎 『法・社会・習俗』 

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つゆだけで食べたいとき、タマゴいれるかどうかでまよう

 今日の蕎麦はうまかったな。冷凍そばのなかでは、うまいほうだ。今回は、たまごをあとでいれた。麺を食べ終わったあとに、つゆのなかにナマタマゴを入れてみた。これが、けっこういい。最初から、月見そばのようにはいっているのもいいのだけど、今回は、つゆだけで食べたかったのだ。この、つゆだけで食べたいとき、タマゴいれるかどうかでまようんだよね。最初からタマゴをいれたいときもあるけど、今回はちがっていたので、どうしようかと思ったのだけど、あとでいれればよいのだ。だいたい、つゆはそんなにはさめない。あとで、「味変」をするのもありだ。

ちゃんとした台所なら、10割蕎麦をゆでて食べるのだけど、机の上に電熱器をおいて調理しているので、いろいろと問題がある。鍋の大きさ、用意できるお湯の量などが、ネックになる。10割蕎麦の場合、ちゃんとぬめりをとらないと、まずいからね。ちゃんとした台所なら、蕎麦湯も飲める。じつは、蕎麦をゆでるのにちょうどいい大きな鍋がない。机の横に本箱が置いてあるので、本箱のなかにある本に影響をあたえたくない気持ちもある。大きな鍋を使うと影響が出る。

ともかく、ちゃんとでかい鍋が使えて、お湯をたっぷり用意できる状態じゃないと10割蕎麦は、つくるのがめんどうくさくて、うまくいかないのだ。

冷凍の8割蕎麦があるのだけど、その蕎麦には、いろいろと入れてほしくない添加物がはいっている。蕎麦の乾麺は、たいへんなんだよな。ともかく、10割蕎麦はちゃんとした台所がないと、つくるのがたいへんすぎる。小麦粉のかわりに、山芋を使った蕎麦があるのだけど、山芋と蕎麦粉の2・8蕎麦って、ないかな。

2024年11月12日火曜日

なーーんも、かわりゃーーしない。

 起きてみたら、ボロボロにつまらなかった件……。

そりゃ、起きたって、かわらないさぁ。そんなのは、知っている。けど、これはちょっとひどいな。まだ、喉のいたみがとれないし、足首のかゆさがとれない。足首のかゆさは、なんか、ひどくなった感じがする。足首とは関係なく、たぶん、蕁麻疹で全身がかゆい。

気分的に、つらい。

なーーんも、かわりゃーーしない。

寝る~-

 洗濯物は、けっきょく、40分ぐらいしか外に出せなかった。すぐに、工事の人がきた。ほこりがくるのがいやだから、すぐにしまう。

そのあと、いろいろやっていた。買うつもりはないのに、グラフィックボードの性能比較動画を、ずっと見ていた。グラフィックボードがどうなっているのか、ちょっと、知識を更新したかった。まあ、買う気がないので、ほんとうに、見ているだけ……。

これから、睡眠トライをしてみる。

あーー。熱湯消毒後の洗濯はした。けど、これも、部屋干しだ。南側に幼稚園があるのだけど、幼稚園の工事が長引きそうなんだよな。作業をしている人がいると、洗濯物を干せない。はやく終わってくれないかなぁ。今日は、東側はなかったなぁ。西側はちょっとやってたけど、わりとすぐに、帰った。

どうするかな

 資源ごみの日なので、段ボールをすてに行った。もう、つかれた。

あーー。このさき、どうするかな?

今日は、ひさびさに晴れているなぁ。まだ、工事の人たちがきてないから、洗濯物でも干しておくかな。

で、まあ、干したんだけど、いつまで干せるかな? 工事の人たちが休みならいいなぁ。

しかし、つかれた。昨日は、布団に入ってから、わりとはやく眠れた。午前4時ぐらいに起きて、バナナを食べた。甘熟王という、ポストハーベスト処理をしてないバナナだ。貴重品だ。これを手にれるために、西友・楽天ではなくて、ライフ・アマゾンに注文をしたのだ。

しかし、どうするかな?

昨日きていた服を熱湯処理した。今日中になんとか、洗濯をする。まだまだ、段ボールの箱がある。これが、ダニがいなければ強敵ではないのだけど、ダニがいるから、強敵になってしまった。だから、「ネズミ対策工事をしよう」とさんざん言ったのに。だから、「魚を出さないでくれ」とさんざん言ったのに。だから、「物置にいちいち生ごみをもっていかなくていい」とさんざん言ったのに。全部、ネズミをおびき寄せて定着させることをやっているんだよな。親父が、意地になって、そういうことをした。こまるんだよ。ネズミは、初期段階で処理しなければだめ。ちゃんと、穴をぜんぶふさがないとだめ。はってきたやつを、ネズミシートで捕まえてもだめなんだよ。時間がたてばたつほどひどいとになる。時間がたてばたつほど、対処がむずかしくなる。だから、言ったのに……。

まあ、ともかく、引っ越しまで、できることをするしかないなぁ。体力的に、引っ越しがむずかしいんだよなぁ。

昨日こまったのは、自分が書いたむかしの文章をどうするかということだ。あとは、友だちからもらった手紙もある。手紙をすてるつもりはない。けど、ほこりがダニのほこりになってしまったから、問題なんだよね。まあ、完全ではないにしろ、いろいろとやり方がある。

本も全部すててしまえばよいのだけど、そうはいかない。どうするか、まよう。

なんか、片付けるときにいろいろなものが出てくるのだけど、全部の期間で、くるしかったのである。長期騒音でくるしかった。

ともかく、なるべくはやく、引っ越しの用意をして引っ越すしかない。

正しいのか? 正しいに決まっているのか? (すぐ消す)

 こいつらは、インテルに洗脳されているから、陰謀論的なことを言うやつには、自動的に嫌悪感を感じるようになっている。ちょっとでも、陰謀論的なことを言うやつは、陰謀論者で、陰謀論者には、自動的に嫌悪感を感じるようになっている。嫌悪感だけではなくて、怒りも感じている。ちょっとでも陰謀論的なことを言うやつを見かけると、自動的に、イライラしてくるのだ。なので、「説得してどうにかしよう」ということができない。「日本人が立ち上がらなければならない」と言うことを言う人たちがいる。俺は、ずっとがんばってきたけど、自動的に券を感を感じて、自動的にイライラする人たちに、なにを言ってもむだだ。どうしてかというと、陰謀論的な内容を含むことを言わざるをえないからだ。そして、「あたたかく見守ってあげましょう」というようなへんな態度をとる人たちもいる。この人たちも、陰謀論者に嫌悪感をもっているのだけど、イライラを感じることはない。まあ、うっすらと、イライラもあるかもしれない。けど、「へんな宗教にはいっているかわいそうな人たち」「へんな宗教信者にだまされているかわいそうな人たち」として見守っていけばいいという、斜め上の態度をとる人たちがいる。この人たちは、もちろん、「陰謀論的なことはすべてまちがっている」という態度だ。基本、陰謀論的なことを言う人たち、特に、反ワク的なことを言う人たちのことを、「へんな宗教の信者だ」と思っている。だから、「温かく見守ってあげましょう」と言うような態度になる。これの、でどころは、やはり、テレビだ。たとえば、NHKのニュース番組で、専門家がアナウンサーの質問にこたえるというようなコーナーをもうける。アナウンサーが「こういう陰謀論者にどうやって対処しすればいいのでしょうか」というような質問をする。そうすると、専門家が、「悪い宗教にはまっているいるようなものだから、頭から否定はせずに、あたたかく見守ってあげましょう」という、見下した見解を述べるということをする。「頭から否定せずに、正しいことを説明してあげましょう」と言う態度だ。けど、その前提になっている正しいことというのが、まちがっているのだ。これが、やっかいだ。どうしてかというと、一般視聴者にしてみれば、常識側の考えが絶対に正しいということになっているからだ。この専門家の意見というのが、洗脳の内容だ。こうやって、NHKは、ゆっくりと、しかし、しっかりと洗脳していくのである。m-RNAがどうやってスパイクたんぱく質を作っているかもわかってない連中が、正しい判断なんてできるわけがないだろ。これ、ひとつをとっても、「正しい」というのが、問題になる。「(自分は)m-RNAがどうやってスパイクたんぱく質を作っているかは、知らないけど、専門家が正しいに決まっている」という態度だ。正しいのか? 正しいに決まっているのか? どっちだ。「正しいに決まっている」と思い込んでるだけなんだよ。陰謀論者は、まちがっているに決まっていると思い込んでいるだけなんだよ。

すぐ消す

 むなしーー。足首をダニに刺されまくって、かゆい。じんじん、ちくりちくりかゆい。むなしーー。

洗った靴下をはいたのだけど、ダメだったみたいだ。洗ってずっと保管しておいたやつだったんだけど、……。ずっと言っても、5カ月ぐらいかな。それとも、今日の作業中にさされたか。作業中もかゆかったからな。ともかく、作業中も、けっきょくは、洗った靴下をはいていたのだけど、作業中にダメになったのか。作業しなくてもだめだったのかわからない。

ともかく、むしない。俺の人生なんだったんだと思うよ……。

2024年11月11日月曜日

おやすみーー。

 たいしたこと、やってないのに、もーーれつに、つかれた。も、う、ダメだーー。ねるーー。

おやすみーー。いい人にさちあれーー。

にぎり寿司はうまかった

 今日は、ちょっとだけ、片づけがすすんだ。ガスマスクをつけての作業は、けっこうくるしい。段ボールの処理をするときは、ダニに刺される可能性があるので、鼻付近をまもるために、シンナー用のガスマスクをつけている。

それから、食料を買って、にぎり寿司を食べた。にぎり寿司もトランスミッションが気になるので、警戒している食べ物なんだけど、どーーしても、急に、にぎり寿司が食べたなくって、食べた。じつは、急に、にぎり寿司が食べたくなったのは、昨日だ。昨日の夜。買いに行こうかなと思ったけど、まよっているあいだに、雨がふってきたのでやめた。

にぎり寿司はうまかった。いろいろ、心配しないでにぎり寿司を食べられる世界をとりもどしたいものだ。

しかし、このさき、どうなるんだ?

今度は、来年の1月20日をまたなければならなくなった。はやくしてほしいんだよね。いま、トランプが「やる」と言っていることを、すぐにでもやってほしい。けど、まだ、準備段階だ。

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 因果関係を証明できないのは、科学的に証明できる技術がないからではない。さらに、因果関係がないから、因果関係を証明できないのではない。因果関係を証明してしまうことが、禁じられているから、因果関係が証明できないのだ。そりゃ、禁じられているのだから、因果関係を証明できる人なんていない。けど、これを、自称科学的な人たちが、「因果関係がないから、因果関係を証明できない」と思ってしまうのだ。だいたい、因果関係を証明することを禁じるというのは、フェアじゃない。こういうところに、気がつかないのだ。とても、科学的は言えない。因果関係が証明できないのだから、因果関係はないと考えてしまうような鈍感さんだ。こんなの、ない。こんな鈍感なやつらが、俺のことを、陰謀論のバカだと言うのだ。どれだけ、たえてきたか。

2024年11月10日日曜日

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 まったく気がつかない鈍感なやつらは、脅威でしかない。どんだけ、こわい思いをしてきたわからない。まだまだ、この思いが続くのか?

 

2024年11月9日土曜日

土曜日は、やすめ

 土曜日なのに、午前8時45分ぐらいから、きて、工事をやっている。で、あっち家と、こっちの家に、犬がいるんだけど、その犬たちが、工事の音で、ワンワンワンワン、吠えている。もう、工事用の車両がきたときから、ワンワンワンワンワン、吠えて、うるさい。工事の音と犬の音がうるさい。こまったなぁ。土曜日は、やすめ。工事をするな。

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 もう、トランプボタンを押したようなものなのだから、これからは、ディープステートの悪事があきらかになるなぁ。はやく、やってくれないかなぁ。はやくしてほしい。とにもかくにも、はやくしてほしい。けど、ショックをあたえないようにゆるやかにやるのかもしれない。けど、それだと、悪くなる一方なので、なるべくはやくやったほうがいいと思う。

2024年11月8日金曜日

レトルトのシチュー

 騒音が鳴りわったあと眠った。午後5時以降だなぁ。そして、なんか、午後7時ぐらいに起きた。起きたときの、むなしさが半端じゃない。ともかく、なんか食べようと思いついて、レトルトのシチューをあたためて食べた。まあ、うまかった。添加物は気になるので、見てない。レトルトのカレーはまずいけど、レトルトのシチューはうまい。なんなんだろうな? この差は? レトルトのカレーがまずいんだよなぁ。食べたあと「うっ」ってなる。なんか、だるい感じになるのだ。安いレトルトカレーじゃなくて、高いレトルトカレーでもそうなる。1個400円ぐらいするわりと高めのレトルトカレーも安いレトルトカレーも、レトルトカレーは味が似たり寄ったりなんだよなぁ。汁汁カレーのほうがうまい。しかし、なんか、汁汁カレーをつくるのがめんどうなときのために、レトルトをいろいろと買ってみたのだけど、あんまり、うまくない。安いやつはまずいけど、高いやつはうまいというようなことを期待してたんだけど、期待が裏切られた。

まあ、シチューを食べながら、『トリリオンゲーム』というを見たのだけど、アニメとしてはおもしろいと思う。こういうアニメの市場はある。

雑感

 あんまり、言いたくないけど、ガスの勧誘シェディングが残っている。喉の調子が悪い。どうするかな? あんまり飲みたくないけど、あれを飲むか。

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 毒の量についてちょっとだけ語っておく。発達障害とワクチンの関係について説明した。あたりロットとはずれロットという2種類で、説明した。あたりロットだと発達障害になり、はずれロットだと発達障害にならない。けど、たとえば、70をこえると、発達障害になるような毒を考えてみよう。70という数字の単位はない。ただ単に70。この場合、一本目、20だけ(毒)がはいっているロットを打ったとする。この場合、症状があらわれないのだから、はずれロットなのかというと、はずれロットではないのだ。これも、程度が低いあたりロットだ。2本目、20、入っているものを打って、3本目、20はいっているものを打った場合、まだ、合計60なので、発症しない。けど、4本目、20はいっているものを打った場合、80になって70をこえるから、ちょっと期間をおいて発達障害の症状(障害)があらわれるようになる。3本目まで打ったけど、4本目を打たなかった人は、ワクチンは安全だと考えるようになるのである。「実際、自分、は、そのワクチンを三本打ったけど、発達障害になってない。ワクチンを打つと発達障害になるというのは、デマだ」と考えるようになるのだ。

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 「アメリカの中央銀行にあたるFRB=連邦準備制度理事会は金融政策を決める会合を開き、政策金利を0.25%引き下げることを決めました」……ということなのだけど、まず、FRBは、政府の銀行ではないのである。こういうところにも、だましがあるんだよなぁ。ともかく、金利を下げたということは、重要だ。これが、ブラックスワンの理由(引き金)になるのかどうか、興味深い。

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 ワクチンで発達障害がしょうじる可能性はある。これも、あたりロットとはずれロットがあり、はずれロットのほうが割合が大きい。なので、ほんとうに低い確率で、発達障害になる。けど、じゃあ、発達障害なるものの、すべての理由がワクチンなのかというとそうではない。別の理由で発達障害になる人がいる。だから、人々は混乱することになる。たとえば、ロットのちがいについて知らない人は、ひとつの名称でよばれる「ワクチン」をひとつの「ワクチン」だと思っているから、ワクチンを打ったのかどうかに注目しがちだ。けど、ここで、トラップが発動しているのである。ワクチンではなくて、どのロットを打ったのかということが重要なのだ。そして、「ワクチンを打つと発達障害になる」という言い方だと、あたかも、発達障害の理由が、ワクチン接種(だけ)であるかのように誤解してしまうのである。悪いけど、理由はほかにもある。ようするに、ワクチン接種は、ひとつの理由でしかない。ほかの理由で発達障害になる場合がある。「ワクチンを打つと発達障害になる」という言い方だと、まず、ワクチンロットの問題を無視しているし、次に、発達障害になるほかの理由を無視している。


つまんなーーい。

 いやーー。つまんないなぁ。つまんなーーい。

どうしようかな? もう一度寝るかな。基本、昼間は工事でうるさい。いろいろなところで、工事をしている。洗濯物も安心して、外に干せない。これが案外、ストレスをあたえるのである。どうしたものだ?

ネズミがいる気配がある。これも、憂鬱になる一因だ。そして、ネズミよりも、人間のほうがたちが悪い。いろいろなことが、うかんでくるよ。

どうしようかなーー。このさきーー。ずっとこのさき、どうしよう。

まあ、焼き芋や柿はうまい。このあいだ、サツマイモを焼いてみたのだけど、うまかった。けど、電気、くうわぁーー。やっぱり、焼き芋は焼いてあるのを買ったほうがいいのかな。けど、焼きたてのうまさがある。 

まあ、騒音のなかで、もわーーっとした気分で、イモを食べた。うまいけど、そんなにいい気分じゃない。いや、どちらかというと、悪い気分だ。そりゃ、この世のいろいろなことがうかんでくるからね。ほんとうに、家族の長期騒音で、そとの人間関係がめちゃくちゃになった。そとの人間に、相当に、不愉快な思いをさせられた。不愉快。不愉快な記憶がある。

ほんとうに、人間のいやらしい部分をいっぱい見てきた。「こいつらは、どうしてこういうやつらなんだ」と思うことが、いっぱいあった。

まあ、ほんとうは、書いちゃいけないことなんだけど、これは、ぼくのノートだからねーー。書きたいことは、書く。

2024年11月7日木曜日

はて、ブラックスワンはあるのかどうか?

 はて、ブラックスワンはあるのかどうか? これが、気になるなぁ。いちおう、ブラックスワンというのは、この場合、リーマンショックの1・5倍ぐらいの、株価暴落だとする。けど、リーマンショックよりは、はやい時期にもとの状態にもどると思う。継続期間は短い。いちおう、目安としては、来年の1月19日まで。あるかどうか言えないけど、あってもおかしくはない。なくても、おかしくはない。これ、白がどういうやり方でやるかにかかっている。

いちおう、アメリカ大統領選挙がおこなわれるまでは、白によって株価が維持されると思っていたけど、選挙がおこなわれたので、フェイズがかわった。 どういうやり方で、古い企業を片づけるのかということが、問題になる。ちなみに、アメリカ大統領選挙が行われない場合も、可能性としてはあった。可能性はあるのだから。排除して考えることはできなかった。けど、トランプが政権につくまでには、まだ時間がある。可能性を考えると、いろいろなシナリオが考えられる。

このさき、どうするか?

 しかし、このさき、どうするかな?

このさき、どうするか?

まあ、里芋の煮っころがしでもつくるか?

しかし、どうするか?

今日は、不燃ごみを出した。それだけでも、いいか。一歩前進した。しかし、どうするか?

なるべく早く引っ越さなければならないのだけど、どうしても、引っ越しの準備ができない。片づけて、パッケージングすることができない。

2024年11月6日水曜日

陰謀論のバカが勝ちました

 よし、ちゃんと選挙をやって、トランプが当選した。選挙をやらないのではないかと言うことが言われていたのだけど、ぼくは、やると思っていた。そして、もちろん、トランプが勝つと思っていた。

トランプは「ディープステートを(ひとり残らず)たおすんだ」というようなことを言っていた。ディープステートという言葉を使うだけで「陰謀論のバカだ」思っていたやつは、どういう反応をするのだろう。ディープステートという言葉を使っていた、陰謀論者のバカが、アメリカ合衆国の第47代大統領になったぞ。

「ディープステートとかwwww」とか「ディープステートなんて言っているやつは、現実と妄想の区別がついてない」などと言っていたのだ。さんざんバカにしてたけど、こういうことを言ってやつは、反省するべきだ。

トランプしかディープステートいう言葉を使ってなかったけど、それには、理由がある。ひとつは、アメリカ人が人質にとられていたからだ。そして、いちおうは有名な人がディープステートについて(ディープステートゆるしなく)語ってしまうと、その人をまもる必要が出てくるからだ。シークレットサービスを使えるトランプですら、ある時期まで、ディープステートという言葉を使うことをさけていたのだから、トランプよりも力がない人が、ディープステートという言葉を(ディープステートのゆるしなく)使ってしまったら問題がある。「ディープステートなんて言葉を使っているのは、トランプだけじゃん」「ディープステートなんて言葉使っているやつは、陰謀論のバカ」と思っていたやつは、反省するべきなのである。



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 メドベッド(medbed)について、ちょっとだけ書いておこう。インテルが「証拠写真」のように使っているメドベッドの写真は、CGや映画に使われたものばかりだ。

インテルは、メドベッドが実在するということを写真でしめすように、メドベッドの写真を使っているけど、あれは、たんなるイメージの写真だ。

そして、メドベッドも、潜在意識のようなトリックタームだ。原子消滅原子生成型のメドベッドの説明をして、そういう種類のメドベッドがあるようなことを言うわけだけど、メドベッドと言われているものが、全部、原子消滅原子生成型のメドベッドなのかというと、そうではないのだ。

ともかく、ベッド型の医療機器は、みんな、メドベッドなのだ。

だから、「メドベッドがある」ということは「原子消滅原子生成型のメドベッドがある」ということを意味していない。

*     *     *

神のテクノロジーなら「原子消滅原子生成型のメドベッド」もありえるということを、期待している人には言っておきたい。別に、「可能性」は否定してないから。

 

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 「陰謀論者はへんな宗教の信者とおなじだ」という社会的な雰囲気を、インテルがつくりだしているのだ。一般人は、インテルやインテル信者の言動を見て「陰謀論者はへんな宗教の信者とおなじだ」と思ってしまう。

そして「へんな宗教の信者にも、固有の事情があるのだから、へんな宗教を信じていたとしても、それは、あたたかい目で見守ろう」というような上から目線の憐れみを感じるように「陰謀論者にも固有の事情があるのだから、へんな宗教を信じていたとしても、それは、あたたかい目で見守ろう」と憐れみを感じるのだ。

けど、けど、けど、正しい陰謀論と正しくない陰謀論の区別がつかない人たちが悪い。 「正しい陰謀論なんてない」「陰謀論はみんなまちがっている」というのが、この人たちの考え方だ。けど、けど、けど、その考え方がまちがっている。正しい陰謀論はある。

 

雑感

昨日、また、柿を食べたのだけど、うまかった。しかし、柿をむくのは、たいへんだ。まだ、もう1個あるので、そのうち、食べよう。柿は、この季節になると、冷蔵庫から出したばかりの柿ではなくて、常温の柿がいいなぁ。まあ、柿に関しては、常温で保存することもできるから、最初から、冷蔵庫に入れないという手もある。けど、今回は、冷蔵庫に入れた。柿じゃないけど、ビワをくさらせてしまった過去がある。いつ、食べたくなるわからないので、なるべく長く保存できるほうがいい。

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「陰謀論を口にする人はおろかだけど、その人なりの事情があるのだろう」と理解をしめすことについて、ちょっと言っておきたいことがある。陰謀論を口にする人たちのなかには、賢者がいる。たかしに、陰謀論を口にする人たちのなかには、バカがいる。なら、陰謀論を口にする人たちはみんなバカというと、そうではないのだ。一般人は「陰謀論者はみんなバカだ」と思って、「その人なりの事情があるのだろう」と一定の理解をしめすことになる。けど、賢者が含まれている。「陰謀論者はみんなバカである」という前提がまちがっている。

*     *     *

 ほんとうのことを言ってしまうと、「陰謀論者はみんなバカである」と思っている人たちがバカなのだ。だから、賢者は、バカにバカにされるということになる。「あわれみ」を感じて「その人なの事情があるのだろう」と一定の理解をしめすわけだから、バカにしている。「陰謀論者がバカなのはしかたがないけど、その人なりの事情があるんだろうな」と思っているのだ。陰謀論者側の『こころの問題』とみなして、『こころの問題がある人』はかわいそうだから、一定の理解をしめすことは必要だということになってしまうのである。こういうふうに「バカにするように」しむけられているのだ。

一般人の「陰謀論者はみんなバカである」という認識は、インテルとインテル信者によってつくられたのだ。洗脳設計者は、インテルとインテル信者を使って、一般人が賢者をバカにするように、しむけている。

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 「因果関係は証明できない」という言い方がある。技術的には因果関係を証明することができても、実際には因果関係を証明することができない場合がある。因果関係を証明することが禁じられている場合だ。その場合について、言及しないで、あることについて「因果関係は証明できない」と語るのは、バランスが悪い。たとえば、ある人が、ワクチンを打った10分後に死んだとする。もちろん、調査をしなければ因果関係は証明できない。そういう状態で「因果関係が証明できない」から「因果関係がない」と言ってしまうあやまりがしょうじる。これは、「あやまり」だ。因果関係が証明できないから、因果関係がないということは、それこそ、できない。どうして、こんな幼稚トリックに気がつかないんだ?

「因果関係を証明できないこと」と「因果関係がないこと」は別のことだ。なんで、これがわからないのか?

 

「おカネはありがとうの量」

  むかし、「おカネはありがとうの量」という言い方がはやった。けど、おカネはありがとうの量だとは言えない側面がある。しかし、これも、「全体詐欺」みたいなもので、「おカネはありがとうの量だ」と思った人は「すべて」のおカネがありがとうの象徴だと思ってしまうところがある。

ようするに、この人たちは、ありがとうを象徴してないないおカネというものについて考えてない。おカネがありがとうの気持ちを「あらわしている」場合もあるけど、そうではない場合もあるのだ。

しかし、「おカネ」というちゅうょう的な言葉には、おカネがすべて含まれる。ようするに、この文脈だとすべてのカネが、ありがとうの気持ちをあらわしているということになってしまうのである。こういうことに対する、無頓着さというのは、精神世界の人たちの、弱点だ。どうして、こういう詐欺にひっかかってしまうのか。どうして、詐欺的な説明を「真実だ」と思い込んでしまうのか。部分について言っているのか、全体について言っているのかと言うことは、常に考えなければならないことなのである。

「おカネがありがとうの量」なのであれば、おカネをいっぱい持っている人は、いっぱい「ありがとう」と思われた人だということになってしまうのである。「おカネがありがとうの量」なのであれば、おカネがない人は、人から「ありがとう」と思われることをしてこなかった人だということになってしまうのである。

けど、実際には、生まれながらの差がある。「生まれたうち」の親が、カネ持ちなら、最初から、だいぶカネをもっている状態がしょうじるのである。いっぽう、「生まれたうち」の親が、貧乏なら、最初から、カネをもってない状態がしょうじるのである。「ありがとうの量」は関係がない。

自分がかせぐときは、自分の行いに対して、人が「ありがとう」という気持ちを込めておカネを払ってくれるのだから、人からありがとうと思われる行為をした人には、おカネが入ってくるという理屈なのだ。けど、これは、おカネの流れの「一側面」を言ったにすぎない。

そうじゃない場合だって当然ある。

強欲な経営者が、労働者の賃金をかすめとった場合だって、おカネは、強欲な経営者のほうに流れる。もっと、制度として固定されている場合だってある。

ようするに、搾取をするのがあたりまえということになっている場合、搾取可能な側には、おカネが流れ込んでくることになる。すべてのおカネが「ありがとうの象徴」なのであれば、もちろん、搾取可能な側に流れ込んでくるカネだって「ありがとうの量を指ししめしている」ということになってしまう。ようするに、「全体詐欺」が成り立っている。

ようするに、おカネがありがとうの量をしめしている場合があるけど、おカネがありがとうの量をしめしてない場合もある。ところが、おカネがありがとうの量をしめしているということにしてしまうと、おカネがありがとうの量をしめしてない場合については考えなくなってしまう。

全体詐欺だ。

「おカネはありがとうの量」だと言っている人は、おカネがありがとうの量をしめしてない場合について、まったく考えない状態になってしまうのだ。なので、おカネがありがとうの量をしめしてない場合については、公然と無視して、すべての場合において「おカネはありがとうの量だ」と思い込んで、すべての場合において「おカネはありがとうの量だ」という前提で、ものを言うようになる。

精神の堕落である。

だまされているのである。

*     *     *

「全体詐欺」というのは、正確に書くと「部分→全体・抽象性詐欺」ということになる。

ひとつの側面について言っているにすぎないのだけど、全体についてのべているような印象を人々にあたえるのだ。その理論を聴いた人は、全体についてのべていると思ってしまう。その話のなかで、抽象的な言葉が使われている。この抽象的な言葉は、部分集合を全体集合のように、錯覚させるための抽象的な言葉だ。Aという部分集合とBという部分集合があり、Aという部分集合とBという部分集合で全体集合を形成しているとする。その場合、ーという部分集合は、当然ながら、全体集合ではない。けど、抽象的な言葉を使うと、抽象的な言葉を使ったときに、Aという部分集合が、あたかも、全体集合であるかのような印象をあたえることができるのだ。当然、Aという部分集合は、全体集合ではない。けど、説明をうけて、「その通りだと納得した人」は、それ以降、Aという部分集合を全体集合のように思ってしまう。

*     *     *

ちなみに、一度、Aという部分集合を全体集合のように思ってしまった人は、たとえ、「A派部分集合であって全体集合ではない」という説明をうけても、こんどは、納得しないようなところがある。これ、単純な人は、「Aは部分集合であって全体集合ではない」という説明をされても、「そういう場合もあるかもしれないけど、Aは全体集合だ。これで正しい」と言いだすのだ。単純な人は……Bという部分集合があるということを、いちおうは、認めるけど、そのあとすぐに、Bという部分集合を無視してしまう。

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 科学的だなんだといったって、細胞内に入ったm-RNAがどうやってスパイクたんぱく質をつくるのか、知らない人たちが言っていることなのだ。ディメリットとメリットを考えて……。はぁ、なに言ってんの? 細胞内に入ったm-RNAがどうやってスパイクたんぱく質をつくるのか知らない人たちが考えるディメリットやメリットなんだぞ。こんなの、ひっかけでしかない。そして、「自分がm-RNAがどうやってスパイクたんぱく質をつくるのか知らない」ということについて、まったく無頓着な人なんて、科学的であるはずがないだろ。

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テレビにでてくる専門家が 「m-RNAがどうやってスパイクたんぱく質をつくるのか」について説明したと思う人もいるだろう。けど、その説明を聴いて「あれ、おかしいな」と思わないのは、非科学的な人だからだ。科学的な人なら、「あれ、おかしいな」と思うはずだ。

2024年11月5日火曜日

ところどころで、起きてしまう

 工事の音がうるさいので、ところどころで、起きてしまう。眠っていられない。今日は、幼稚園側と東側が特にうるさい。いまも、鳴っている。喉は、あいからわず、いたい。「すべての勧誘 お断り」と書いてドアに貼っておいたのに無視して、ピンポンを鳴らしやがって。インターホンになってないので、でないとわからない。最初、自分が今使っているガス会社の人かと思って話を聴いたら、別のガス会社の勧誘だった。ワク臭でやられた。ちょっと書いておいたけど、地域新聞のワク臭はきえた。たぶん、人がかわったんじゃないかな。けど、いつまた、復活するかわからない。

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 「人の思いのパワーは絶大だから、悪いことは起こらない」とディープステートにだまされている人たちが言っているのだ。これって、どうにかならないかな? だまされっぱなしのやつが、よく言うよなぁ。人の思いのパワーが絶大なのに、悪いことばかり起こっているじゃないか。しかも、自己責任論とおなじように、じつは、「人の思いのパワーは絶大だから、悪いことは起こらない」なんて考え方がはやっていると、デーブステート側がたいへんにやりやすい状態になってしまうのだ。基本、思霊的な考え方というのは、幼児的万能感から出てくるものだ。だれもが幼児期を経験しているので、とても、なじみやすい考え方なのだ。そして、どんな人も、『生』の不安を抱えているので、不安定な未来に関しては、「いいことが起こる」と思いたいという気持がある。ディープステートは、そこのところ……幼児的万能感をだれもがもっているということ……を利用して、思霊思考をはやらせて、思霊思考にとりつかれている人が、現実世界に対処できないようにしたのだ。はやっている精神世界の考え方というのは、ディープステート側にとって都合がいいものばかりなんだよ。ちなみに、新興宗教の考え方も、おなじだ。新興宗教は、ディープステート直轄の宗教だ。日本のだれもが知ってるような新興宗教団体というのは、ディープステートがつくった宗教団体だ。これでまちがいがない。

 

はやくしてほしい。

 あーー。つまらない。つまらない。やっと、11月5日。今日と明日で、アメリカ大統領選挙の結果がでる。まちにまった結果だ。これは、重要な選挙だ。選挙をやるのかどうかも含めて、大変興味深いものがある。しかし、ぼくは、つまらない。ここまでで、エネルギーをつかいはたしている。このあいだのシェディング(トランスミッション)がこたえたかなぁ。そのまえから、からだの状態が悪かったのに、また、あのにおいをかがされてしまった。喉がいたいのが、なおらない。

ともかく、明日になれば結果がでる。とりあえず、生きて、こえればいい。

今後のことに、あんまり期待ができないんだよな。はやく、黒側バイトを含めて、排除してほしい。あれに協力したやつらを全員、逮捕してほしい。はやくしてほしい。 

こんなごたごたな状態が、いつまで続くかわからない。処理に相当な時間がかかるような気がする。普通に考えれば、処理に時間がかかる。おそい展開になる。そりゃ、ものすごいことが起これば一瞬で解決するけどね。

2024年11月4日月曜日

ほんとうに、つかれた

 このさき、俺はどうしたらいいんだ。ほんとうに、つかれた。「もう、つかれた」。つかれたねぇーー。

横になっても、眠っても、つかれがまったくとれない。

このあいだのトランスミッションが効いている感じがする。喉がイガイガする。もともとだるいのに、そういう原因をつらないでほしいな。「すべての勧誘 お断り」と書いてあるのだから、「声をかけてほしくないんだな」と思って、スルーしてくれよ。

せっかく、地域新聞のトランスミッションがなくなったと思ったら、今度は、勧誘で、ナノ粒子をくらったか。


思霊雑感

 「明るいことを考えると明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」とワクチン騒動のさなかに言っていたのである。

もしかりに、コロナ騒動がはじまったとき、「明るいことを考えると明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」という考えをもっていて、「明るいこと」を考えたら、ワクチン騒動は起きてないのである。

自分が暗いことを考えると、世界で暗いことが起こるし、自分が明るいことを考えると世界で明るいことが起こるということだから、思霊主義者のだれかひとりが、コロナ騒動がはじまったとき、「これ以降、悪いことは起こらない」と明るいことを考えれば、それで、食い止めることができたのだ。

しかも、この「明るいことを考えると明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」というのは、一般人から見て陰謀論者の発言なのだ。

たぶん、インテルじゃなくて、インテル信者(Qアノン)なのだろう。Qアノンも設計者側がつくった用語だ。

設計者側がつくった用語で議論をしてもしかたがない。これは、「シェディング」という用語でもおなじだ。けっきょく、思霊主義者であり陰謀論者である人は、進行形のとき、「自分が」暗いことを考えなければ暗いことが起こらないという考え方をもっていたのである。

けど、それだけでは、不十分で、「他人が」暗いことを考えることも禁じなければならなかったのである。

けど、自分が暗いとを考えなくても、他人が暗いことを考えなくても、計画の主体者であるやつらは、計画を推し進めていった。それは、思霊主義者であり陰謀論者である人にとっても「暗いこと」なのである。

自分が暗いことを考えず、ほかのだれにも暗いことを考えさせないように、がんばっていたとしても、次から次へと暗いことが起こっていったのである。

どうしてかというと、次から次へと(彼らが)計画を実行したからだ。

ようするに、もし、思霊主義者が、2018年以前に、「暗いことは起こらない」と思えば、暗いことは起こらなかったのである。もしも、思霊理論が正しいなら、そもそも、新型コロナパンデミックが起こらなかったのである。

思霊主義者は、自分のことを言っているのか、世界のことを言っているのか、常にあいまいにしている。そして、自分が思うと、世界がその通りになると思っているのか、他人が思っても世界がその通りになると思っているのか、はっきりさせない。

だから、自分のことなのか、世界のことなのかということについて、常に思考的な混乱があり、さらに、自分が思うことなのか、他人が思うことなのかということについても、混乱があるのだ。そういう人たちなのである。

この人たちは、言霊主義者のように、はっきりしたことを言わない。言霊主義者ははっきりしたことを言うけど……常に断言しまくっているような状態だけど……「言ったから」と「言ったあと」の混同と「言葉の力」と「言霊の力」の混同があるので、どっちの意味でも使えるようになっていて、そのぶんだけあいまいなことしか言わないということになっている。本人は、混同しているとも思ってないので、その都度、「正しい」と思うことを言うのである。けど、厳密に考えると、この人たちは、その場その場で、異なったことを言っているのである。どうとでもとれるあいまいなことを言っているのである。本人が、意味的にあいまいなことを言っているというつもりがないだけで、あいまいなことを言っている。言霊主義者の話はここで終わりにして、思霊主義者の話にもどす。ともかく、思霊理論がただしいなら、自分が「明るいこと」を考えて、自分が「暗いこと」を考えなければ、それ以降は、一切合切、暗いことは起こらないということになるのである。もし、現在進行形で暗いことが起こっているというのであれば、それは、思霊理論がまちがっているということになる。ならざるをえない。そして、自分が「暗いこと」を考えなければ暗いことは起こらないと思っている一方で、他人が「暗いこと」を考えると暗いことが起こってしまうと思っているのだ。そして、自分が「暗いこと」を考えなければ暗いことは起こらない考えているなら、近い未来において、ディープステート側の人間が、悪いことをするということがなくなるのである。けど、もちろん、個人である自分が見ないふりをして、「起こらない」と思っていても、ディープステート側の人間が、計画通りに、細かい計画を次々に実行していくということになる。はっきり言えば、「暗いことを考えると暗いことが起こるから」「暗いことを考えないようにする」という対策では、なんの意味もないのだ。意味がないどころか、逆に、ディープステート側の人間に協力をしてしまっていることになる。そりゃ、見てみぬふりをして、「考えるな」とほかの人に言って、計画がスムーズに抵抗なく進むようにしてしまう。「考えるな」というのは、「暗いことを考えるな」ということだ。こんな無防備な状態はない。敵から攻撃をされているのに、それは見ないことにして「明るいことを考えましょう」と言っているのとおなじだ。敵から攻撃されているのに「暗いことを考えなければ、敵から攻撃されるという暗いことは起こらない」と考えて、見ても見ないふりを決め込むということだ。

ともかく、「思いが現実化する」とか「明るいことを考えれば明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」ということが正しいなら、すぐにでも、ディープステート側の行動を食い止めることができるのである。

けど、個人が「暗いことを考えないようにしても」暗いことを実行するやつらがいる限り、暗いことを実行するのである。計画をたてて、暗いことをしようとしているやつらは、暗いことを次々と実行していくのである。

それは、あいつらにとっては、明るいことかもしれないけど、やられるこっち側の人間にとっては、たいへん暗いことだ。

ともかく、どの時点でも、思霊理論が正しいなら、「暗いことを考えない」ことで、やつらの計画を頓挫させることができるのである。

ところが、そんなことを言っているあいだに、次々に、あいつらの計画が、実行されてしまうのである。この、実行されている期間中に「暗いことを考えると暗いことが起こるから、暗いことを考えないようにしましょう」なんて、やられる側に言ったってしかたがないのだ。こういうところで、ろくでもない行為をしている。

だいたい、恐怖があるから、「暗いことを考えないようにしよう」と言っているのである。暗いことが起こっているという認識があるのである。だから、さいちゅうだと言っているでしょ。現在進行形だと言っているでしょ。

*     *     *


たとえば、Cさんが2016年に「これから、悪いことは起こらない」と思ったとする。思ったのだから、新型コロナパンデミックなんて、起こらないのだ。プランとしてパンデミックを起こすということを計画した人たちがいても、Cさんが「これから、悪いことは起こらない」と思ったので、新型コロナパンデミックは起こらないのだ。もし、思霊理論が正しいなら、そうなる。だれかひとりが「これから、悪いことは起こらない」と思ったら、その瞬間から、悪いことは起こらないようになるのだ。「悪いことが起こると思うと、悪いことが起こり、いいことが起こると思えば、いいことが起こる」というような思霊理論は、ずっとまえから、言われていたことだ。だいたい、ぼくは、思霊主義者じゃないけど、「これから、悪いことは起こらない」と中学生のときに思ったことがある。ところが、2019年に新型コロナパンデミックが起こった。言霊理論というのは、だれが思うかを区別しないので、ぼくが思っても、思ったとおりになるはずなのだ。もし、ぼくが思って思ったとおりにならないのであれば……現実がぼくが思ったとおりにならないのであれば、それは、言霊理論がまちがっているということなのである。実際には、新型コロナパンデミックと言うのは、計画されたものであるから、新型コロナプランでミックだということになる。ちゃんと、悪いことが起こっている。悪いことを計画したやつらが、悪いことを引き起こしている。それは、ぼくが中学生のときに「これから悪いことは起こらない」と思ったにもかかわらず、起きているのである。思霊理論はまちがっている。まあ、こういうことを言うと、思霊理論を信じてない人が思っても効果はないとか言いはじめると思う。けど、そいつらだって、人生のなかで「これから悪いことは起こらない」と思ったことがあるはずだ。過去の時点でそう思ったのに、実際には、悪いことが起きたということを経験しているはずだ。思霊主義者だって、思った通りのことが起こらなかったということを経験しているはずだ。思霊主義者だって、思ってなかったことが起きたということを、経験したはずだ。思霊を信じていたって、そういうことがあったはずだ。

 

 

 

 

2024年11月3日日曜日

すぐに消す

 通貨というのは単なるお札だという理論がある。これが、本質的には正しい。この考えに立てば、財政均衡なんて関係がないということになる。刷ればいいのだから……。
基本いまの日銀(日本銀行)というのは、政府の銀行ではない。ディープステートと政府の銀行だった。政府がディープステートの下部組織なのだから、ディープステートの銀行だと言っても過言ではない。これが、金融奴隷制度のかなめなので、これは、破壊しておく必要がある。ようするに、政府をディープステートから解放して、日銀を政府の銀行にしなければならない。
単なるお札なんだけど……おカネと言うのは単なるお札なのだけど、「なんとなく信頼のおけるもの」でなければならないのだ。こっちは、人間の精神性の問題だ。だから、金(きん)とむすびつけておけばいい。金(きん)が量的に足りなくても、カネを刷ればいい。ようするに、カネに対して金の価値があがればいい。けど、金の流通量とものの流通量の関係課は、そこそこ、安定していなければならない。無尽蔵に吸っていいというわけではない。じゃあ、なにを基準して考えるべきなのかというと、ものの流通量だ。ものと書いたけど、サービスも含まれる。そして、問題なのは、銀行の信用創造なのだ。信用創造というしくみは、破壊しなければならない。
まあ、基本、まったくわかってない人は、ぼくの言っていることがまったくわからないと思う。これ、もう、次元がちがうんだわ。財政均衡なんて言っているやつらは、経済学がまったくわかってないやつらだ。

2024年11月2日土曜日

だるいと「いいやもう」という気持になる

 だるいと「いいやもう」という気持になる。

引き続き、あの薬を飲むしかないか。

しかし、勧誘するなと張り紙をしてあるのに、ガスの勧誘をしやがって……。ワク臭をふりまくな。

雑感

 うーー。騒音がひどい。おちこむーー。いろいろなところで、工事をやっている。幼稚園の園舎がでかいのだけど、そこに足場を組んで作業をしている。これが、うるさい。こまったなぁ。東側のやつも、家の解体工事をしているし、今年は、なんか、ひどいよ。

横になっていても、しんどいんだよなぁ。どうするかな?

 

後で消すかも

 さて、俺はどうするかな?

今後の変化は見たいような気がする。しかし、イーロン・マスクの動きを見ていると、「これ、ほんとうに大丈夫なのかな」という感じはする。とりあえず、白と言っておくけど、白は、人間機械化(人間と電子回路の融合)に関しては、ノリノリなんだよなぁ。けど、まあ、いいや。白が白なのかという問題はずっとあった。けど、この問題は、あつかいたくないなぁ。ものすごく低レベルなことをやっているわけだからさ。いや、前投稿でコメディだと書いたけど、これ、民衆のレベルに合わせているのである。彼らが民衆をどういうふうに考えているかわかる。

ともかく、でかい動きがある。そして、ぼく個人の動きというのが、全体に(それほど?)(まったく?)影響をあたえないのである。これ、自分の無力さを思い知らされるイベントになったなぁ。まあ、ぼくは、できる限りのことはやった。けど、たとえば、白とか黒という勢力があり、その勢力が出す情報を信じている人たちがいる。信じていると書いたけど、妄信している。これ、言ってみれば、どっちにしろ、だまされているのである。そういう力をもっている。嘘をつく力をもっている。公的な権力が嘘をついたら、その嘘を、嘘だと思わない人たちばかりなのである。この人たちが今回、どうなるのかということに関しては、書くわけにはいかない。

「もう、なんでもあり」

 昨日のトランスミッション(シェディング)で、喉がいたくなった。「いたくなった」と言っても、たいしていたくない。むかしの表現だと「えへんむし」みたいな感じ。喉がイガイガな感じだ。○○は効かなかったか。じつは、いま別の〇〇をきらしている。到着をまつしかない。

*     *     *

片づけなんだけど「もう、いやだな」という感じがする。もう、ほんとうに、いやなのだ。

*     *     *

やっと11月2日。ながい。ながい。ながい。

アメリカの状態は、「もう、なんでもあり」になっている。シリアスな映画が、コメディ映画になったなぁ。もう、コメディ映画。これ、もう、なんでもありだ。これで、芝居をしているということに気がつかないやつがいるのか? これで!

ほんとう、もう、コメディだよなぁ。

 それでも、まだ、日本人の9割が、わかってないわけだからなぁ。あーー、いやだなぁーー。いやだなぁーー。


2024年11月1日金曜日

雑感

 このさき、どうするかな? やっと11月1日になった。よかったよかった。しかし、まだ、1日。長い。もう、いいかげんにしてくれ。

工事にかこまれているような感じで、洗濯物を干せない。風にのって、解体中に出るほこりがこっちにくることもあるよなぁ。洗濯物に、ちょっとでも、そういうものがついてほしくない。けど、いたるところで工事をしているから、これ、今年中には終わらないよ。どうするかな? たしょう、ほこりがついても、干すべきかな?

あとは、まあ、昨日、ネットスーパーで食料品を買った。昨日は、あっちの手違いで、なんか、ほかの人の購入商品もまじってしまったみたいで、「これを買いましたか」というようなことを聞かれたので、確認した。けど、スポンジたわしをぼくが買ったのだけど、一度、ほかの人のところに届けてしまい、あとになって、スポンジたわしをぼくのところにもってきたのだ。ほんとう、いろいろたいへんだよね。あの人は、まじめないい人(みたい)だから、なんか、同情する。 

ともかく、食料品をゲットした。スポンジたわしもゲットした。カレーとかスパゲッティーを食べると、スポンジたわしがぬめぬめになりやすい。

あーー。別のところの工事が本格的にうるさくなってきた。がーーーっとやっている。どうするかな?

まあ、ほんとうは、引っ越しの用意をするべきなんだよな。どうしても、片づける気がしない。片づけるとなると、ダニに刺されるのだ。じつは、手の甲を、刺青のように刺された部分があり、そこが気になっている。これは、9月に刺されたものなのだけど、まだ、残っている。ほんとうにすごい医療機器が登場するのか?


 

雑感

 今日、じつは、プロパンガス屋の勧誘がきたんだけど、いわゆるワク臭がした。殺虫剤系のワク臭だ。「すべての勧誘、おことわり」と玄関に貼り紙をしてあるのに、それを無視して、勧誘してくる。最初は、今使っているガス会社が、ガスのことで、なにか言いたいことがあるから、きたのかと思った。だから、対応してしまったのだけど、ワク臭を感じた。

からだの中に入ったものが、完全に分解できればいいけど、残るとやばい。まあ、いちおう、〇〇を飲んでおいた。2文字ではない。あーー。こんなことがいつまで、つづくんだ。はやくしてくれ。○○、効け。


いつも読んでくださるかたに感謝しております



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