2023年3月28日火曜日

白と黒4

 ちがう嘘をセットでいうと言うテクニックについては話したけど、別のやり方もある。それは、おなじ嘘を何回も言うというテクニックもある。

たとえば、「ホワイトハウスが神の杖で破壊された」ということを言うとしよう。まあ、神の杖に関しては、いろいろとうわさがあるので、単に、「ホワイトハウスが破壊された」という文にしよう。

「だいたいこういうことがおこなわれると、こういうことになる」ということを説明するために、架空の話をすることにする。 

その場合、何回もおなじ嘘を言うことによって、真実の情報をかくすという効果がある。そして、普通の人が聞くと「ばからしい」と思う効果がある。そして、情報に関する信頼性の破損という効果がある。

たとえば、こんなふうに書くわけ。(データは、説明のために、ぼくが勝手につくったものです)

1回目、2020年10月10日 「ホワイトハウスが破壊された」

2回目、2021年1月17日   「ホワイトハウスが破壊された」

3回目、2021年3月1日    「ホワイトハウスが破壊された」

4回目、 2021年8月27日  「ホワイトハウスが破壊された」

破壊されたという言葉を使う場合、「一部が破壊された」と書かないのであれば、全部が破壊されたという「感じ」がする。

もし、一部が破壊されたのであれば、「ホワイトハウスの一部が破壊された」と書くべきであって、「ホワイトハウスが破壊された」と書くべきではない。

ところが、そういうことをあいまいにして、健忘症を装い、わざと、相手が混乱するように、何回もおなじことを書くのだ。さらに、途中で、「ホワイトハウスがグリーンにライトアップされた」ということを書くと、混乱度が増す。

たとえば、3回目と4回目のあいだの、2021年5月5日に、「ホワイトハウスがグリーンにライトアップされた」と書いたとしよう。その場合、「あれ、2021年3月1日に破壊されたんじゃないの」と、普通の記憶力がある人は思うわけだ。2021年3月1日と2021年5月5日にあいだには、「修復された」というような記述はないとする。

ようするに、「修復されてないのに」あたかも、そこにあることが当然であるかのような記述をするわけだ。2021年3月1日に「ホワイトハウスが破壊された」と書いた人が、まったく、疑問を感じないまま「ホワイトハウスがグリーンにライトアップされた」と書いてしまうわけ。

普通だったら、疑問を感じるべきことだ。自分が、2021年3月1日に「ホワイトハウスが破壊された」と書いたのだから、2021年5月5日に「ホワイトハウスがグリーンにライトアップされた」と書いているときに、気がつくはずだ。ところが、気がつかずに邁進してしまうのである。

インテルの話というのは、そういうところがある。

これ、わざとやっているのである。

けど、インテル信者はそういうことには、まったくこだわらないのだ。「おかしい」と思わないのだ。だから、「忘れたころに」矛盾したことを書くというのは、ひとつのテクニックとしてある。

「一部が破壊されたのであれば、「一部が破壊された」と書くべきだし、ホワイトハウスの地下に、黒側が使っていた施設があり、その施設を破壊したというのであれば、「地下施設を破壊した」と書くべきなのだ。

ところが、こういうことは、一切合切、気にしないで、「破壊された」「破壊された」「破壊された」と書いてしまう。

もしも、ほんとうに、地下施設がほんとうに破壊された場合、そのことが、逆にかくされてしまう。これは、仮定の話だけど……そういうふうにことわっておく……説明のためにする仮定の話だという前提で書くことにするのだけど……たとえば、2回目、2021年1月17日にほんとうに、神の杖で、ホワイトハウスの地下施設が破壊されたとしよう。その場合は、もちろん、「神の杖で、ホワイトハウスの地下施設が破壊された」と書くべきなのだ。

けど、「ホワイトハウスが破壊された」と書いたとしよう。その場合、「ホワイトハウスの地下施設が破壊された」という情報が、かくされてしまう。

次に、こういう場合について考えてみよう。

1回目、2020年10月10日 「ホワイトハウスの地下施設が破壊された」

2回目、2021年1月17日   「ホワイトハウスの地下施設が破壊された」

3回目、2021年3月1日    「ホワイトハウスの地下施設が破壊された」

4回目、 2021年8月27日  「ホワイトハウスの地下施設が破壊された」

この場合は、「いったい何個、地下施設があるんだ」と思うだろう。けど、この場合も、いくつもおなじ情報を出すことによって、ほんとうの情報をかくしてしまう。

たとえば、ほんとうに2021年3月1日に「ホワイトハウスの地下施設が破壊された」としよう。その場合、こうやって、おなじ情報をちがう(日付)で出すことによって、「ホワイトハウスの地下施設が破壊された」という情報をかくすことができる。

この場合、いまぼくが、「作者だから」2021年3月1日に「ホワイトハウスの地下施設が破壊された」ということが正しいという設定で、書いたわけだ。けど、実際には、ほんとうの情報をもっている人がいなかったとしよう。

その場合、どれが正しいのか、すべて正しくないのか、決定することができなくなる。ほんとうの情報を知っている人なら、これは、ニセの情報だと判断できるけど、本当の情報を知らない人は、どれだけ考えても、ほんとうの情報がなんなのか判断できないということになる。

そして、インテルの「気にしない態度」は一般人に影響をあたえる。「矛盾したことを言っているということに気がつかない人が言っていることだ」と思ってしまうのである。

こういうことを、三峡ダムやCERN(欧州原子核研究機構)に関してもやったとしよう。その場合、やはり、三峡ダムのほんとうの情報やCERNのほんとうの情報に関してもかくすことになる。

「破壊された」ということについて、何回もおなじことを言っても、まったく気にしない態度というのは、それ自体がおかしいので「信頼性」をうしなうのである。書いている人は信頼性をうしなうのだけど、本当の情報をかくすことができる。

一般人は、ほんとうの情報が書いてあったとしても、「うそだ」と思うように誘導される。だから、これも、「うそ」のなかに「ほんとうのこと」をかくすという方法だ。ほんとうの情報を知るものしか、ほんとうのことが書いてあるのか、嘘が書いてあるのか判定することができない。

ほんとうの情報を、すでに、知るものは、そことに関しては、ほんとうの情報をすでに知っているわけだから、書いてあることを読んで、判断する必要がない。

だから、ウエブに書いてあることを読んで、それがほんとうのことなのか、嘘なのかということを判断しなければならない人は……つまり知らない人は……どれだけウエブに書いてあることを読んでも……(それが)ほんとうのことなのか嘘なのか判断できないということになる。知っている人は判断する必要がないし、知らない人は判断できないということになるのだ。

普通の人は「そんなことは、バカらしい」「神の杖ってなんだよwww」「こんなの、信じる人いるの?」「バッカじゃない」と思って、はなれていくわけだ。そういうことに関心をもたくなる。だから、常に邁進しているインテルというのは、普通の人をそういう情報から「とおざける」役目をはたしている。関心のある人には混乱を、関心のない人には無関心をあたえることになる。そして、信じる人は、まずい方向へと誘導されてしまうのである。

 

 


 


 

 

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