じつは、ぼくは、ネットカフェに入ったことがない。けど、興味があって、ヤフーリアルタイム検索で「ネットカフェ」というようなキーワードを設定して、そのキーワードを含む文章を読んだりしている。
しかし、考えてみたら、別に、ネットカフェなんて行かなくても、自分の部屋で、動画サブスクや電子書籍サブスクを利用すれば、それで、用事はすんでしまう。なにも、シェディングまみれの空間に行かなくてもいいかなと、最近では思っている。
読みたい本は買えばいいわけだし、見たい動画は、たいていの場合、動画サブスクに入っている。入ってないものは、これまた、ビデオレンタルで借りられるものが多い。もし、それでもないものに関しては、買えばいいわけで、見られないということはない。
もちろん、中古で探しても、ないものはない。なので、そういう意味では、見られないものはないということはできないのだけど、たいていのものは見られる。
だいたい、その「見られないもの」が、ネットカフェにはあるという確率は、ほとんどゼロだ。ネットカフェの経営者は、はやっているものをとりそろえようとする。そんなレアなものを置く余裕はない。はやっているものは、たいてい動画サブスクにはいっている。
まあ、ともかく、たいていのものは、家で見られるよね……ということだ。紅茶だって、家で飲むもののほうが、おいしい。ぼくは、こだわりの紅茶を飲んでいるわけで……。ネットカフェには、あるとしても、普通の紅茶しかない。
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見れると、見られると使いわけだけど、普通は、見れるでいいと思う。実際、ぼくも、見られると言うべきところを、見れると、言っている。これは、「ら」ぬき言葉としてよく、知られている言葉だ。けど、「見られる」には、「受け身」の見られると「可能」の見られるがある。「可能」の見られるに関しては「見れる」と言っていいと思う。そっちのほうが自然だ。