2023年11月26日日曜日

現実世界の「労力」「報酬」効率が悪すぎる

 前投稿までの話を無視して、人がどういうときにやりがいを感じるかということについて考えてみよう。まあ、現実世界の「労力」「報酬」効率が悪すぎるわけ。労力と書いたけど、努力でもいい。ようするに、ちょっと努力すれば、そこそこの生活ができるようなおカネをもらえるというのが、理想的だ。ところが、モーレツな努力をしても、ぎりぎりの生活しかできないようなおカネをもらうというのが、現実だ。ここらへんの問題はでかい。

ゲームのなかで、2時間、3時間、ちょっと狩りをするだけで、かわいい女の子と、自宅で、普通に生活することができる……。こんな設定すら、まったく成り立たないのが、この世の設定だ。その自宅というのは、日本の自宅よりもだいぶいいものであり、なおかつ、ローンで買うようなことはしないで、一括購入だ。2時間、3時間、ちょっと、狩りをするだけで、庭付きの自宅を手に入れることができる。

現実もこうなるべきだ。かわいい女の子は、ともかくとして……ぬきにして、普通に「努力」をすれば、このくらいのことが、かるくるできるようにならなければならない。そういう、「努力・報酬体系」でなければならない。

ようするに、努力報酬体系が適切であり、なおかつ、本人が、創意工夫をすることによって、簡単に「よい自宅」と「普通の生活費」を手に入れられるような状態のとき、人はやる気を出すのではないかと思う。

それを、くそ経営者が、安い賃金で、長時間働かせようとするから、問題がしょうじる。けど、これは、くそ経営者だけの問題じゃない。ぜんーーぜん、ちがう。これ、社会の問題なのである。社会の「わくぐみ」の問題なのである。社会の「しくみ」の問題なのである。

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