全部が全部、どうでもいいやという感じになっている。しかし、たとえば、ダニに刺されればかゆい。わりと広い範囲をやられると、ひっかき傷がたくさんできるのでやばい。雨がふれば、古い木材でできた外壁が心配になる。引っ越ししたいけど、まるで元気が出ない。
これ、楽しくない。
条件がちがいすぎるんだよな。いまの話ではなくて、過去の話だけど……。過去と言っても、時間の流れとして、過去から現在にいたるまでの過去の話だから、別に、話としてはおかしくない。直前まで、過去なんだよ。時間の長さについてどうして考えないのだろう。過去と言ったら、とてつもなく短い時間をさして過去と言っているわけではないのだ。40年前から、「40」という数字を打ったときの過去までの過去をさしている場合もある。というか、ある出来事がしょうじたとして、ある出来事をある出来事だと認識している時間の長さがある。出来事というのは、出来事であって、まるで時間を切ったような感じになるのだけど、じつは、ひとつの出来事というのは、起点と終点がはっきりしているものではない。ある人が勝手に、ある出来事について、かりそめに、起点の時間と終点の時間を決めているだけだ。けど、これは、かりそめの決定だから、記憶のなかで、いろいろと改ざんされてしまう。改ざんでなければ、なんて言うのかな? 修正されてしまう。