なんとか、ジャワカレーをつくった。玉ねぎをふたつ使った。わりとでかい玉ねぎだから、玉ねぎカレーになった。二回食べて、あと一回分を残した。
で、それは、もうミニ冷蔵庫に入れた。鍋は洗った。けど、丼を洗ってない。今回、どんぶりを使って、カレーを食べた。ぼくは容器にはこだわらないからね。今回は、皿より、どんぶりのほうがよかった。手元にあった。洗うのが楽だった……。なので使った。
風呂に入ろうと思っていたけど、やめた。殺虫剤は落ち着いたと思うけど、あそこで、ダニに刺されるのはもう、こりごりだ。殺虫剤が効いていればいいんだど。あと、プラスチック段ボール(プラダン)の上に、ナメクジがいるんだよ。
あれにも、殺虫剤をかけておいたけど、どうなっているかわからない。プラダンをとるには、相当にやばいエリアに足をいれなければならないのだ。もと、風呂釜があったところの、内側の部分に穴があいていると思う。この内側の部分は、鏡とかスネークスコープを使わないとわからなぃ。
で、ぼくが考えていることは、どういうことを考えて横になれば、しばらくは?楽しい気分でいられるかということだ。これが、むずかしい。すぐに暗黒色に染まってしまうから。すぐに、いろいろなまずい記憶がうかんでくるから。そして、楽しいことというのが、これまた、色あせていることなのである。ほんとーーに、こまった。こまった。
人間、やられ続けるとやばいんだよな。特に、ほかの人には発生しないような、不利なことがずっと、発生し続けるとやばい。ほかの人は、わからないからな……。好き勝手なことを言うわけで……。認知療法、ポジティブ思考、アドラー、幸福論、言霊、言霊以外の精神世界のいろいろな話が、せめてくる。
これ、基本的に、言霊以外の精神世界の話も、だいたい、言霊と同じレベルの話で、言霊とおなじような「悪い」働きをする。これ、言っている人たちは、なにも区別してないんだよな。認知療法からも、精神世界の話からも「すべては受け止め方の問題」というようなことが浮かんでくるんだよ。
けど、「すべては、受け止め方の問題」であるはずがない。受け止め方の問題であるものは、ある。けど、「すべて」じゃない。けど、「すべて」と言ってしまう軽率さがある。あんまり深く考えてないから、そういうふうに、言ってしまう。自分のこととして深く深く、考えたことがないのだ。通り一遍の説明で満足してまう。「その通りだ」と思ってしまう。
ともかく、経験がちがうと、考え方がちがってくるんだよ。まあ、死んだところでリセットされてしまうのだが……。それしても、自慢話になってしまうということに、気がついてない人がいるんだよな。認知療法、ポジティブ思考、アドラー、幸福論、言霊、言霊以外の精神世界のいろいろな話をしている人は、自慢話をしている。
あれ、自慢話なんだよ。あんまり気がついてないみたいだけど……。あれ、自分がめぐまれた状態で生きてきたということに、気がついてない。そりゃ「自分だって(苦労した)」と言いたくなるだろう。けど、ちがうんだよ。ちがう。
認知療法、ポジティブ思考、アドラー、幸福論、言霊、言霊以外の精神世界のいろいろな話が正しいと思えるなら、めぐまれている。これ、自分が標準になってしまうからわからないんだよな。