2019年12月16日月曜日

歯医者は憂鬱だという文について考えてみた


けっきょく、昨日の午後五時ぐらいからずっと起きている。で、いま2019年12月16日08時52分04秒

なんだけど、ちょうど一時間ぐらいしたら家を出る。出なければならない。行きたくないけどね。別に俺がむずかしいことをするわけじゃない。俺は患者だから、イスに座っていればいいだけだ。けど、これは、ほとんど寝ているような状態になる。足のほうが、頭より高くなる。

昨日買ったマグロ寿司を食べた。あとはどうするかな? はぁー憂鬱だ。俺が作業をするわけじゃないけど、歯医者は憂鬱だ。これは、歯医者に行くのは憂鬱だという意味だ。日本人ならわかると思うけど、まさか、歯医者さんが憂鬱だという意味に取ったりしないだろうな。

日本語はこういうのが多い。喫茶店に複数人で入って、『私はコーヒー』と言った場合、私はコーヒーを注文しますという意味で、私はコーヒーであるという意味ではない。私とコーヒーはイコールじゃないのである。私は歯医者だなら、私と歯医者はイコールだ。

前の文「歯医者は憂鬱だ」の場合、憂鬱だと感じているのは、『自分』なので、ほんとうの(主体)は文のなかには出てこない。まあ、歯医者に行くのは憂鬱だ」なら、「の」が主語になる。歯医者に行くことは憂鬱だなら、「こと」が主語になる。

けど、その場合も、一般論として歯医者に行くのは憂鬱なのか、それとも、自分が歯医者に行くのは憂鬱なのかはっきりしてない。『私は歯医者に行くのは憂鬱だ』なら、『私』が主語になる。よかったね。

『私は歯医者に行くのは憂鬱だ』という意味で「歯医者は憂鬱だ」と言っているのであれば、やはり、隠れた主語は私ということになる。しかし、『私は歯医者に行くのは憂鬱だ』はちょっとすわりがわるい。『私は歯医者に行くのが憂鬱だ』という文のほうが、すわりがいい。

いつも読んでくださるかたに感謝しております



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