2019年12月28日09時39分38秒
起きたあと、なにを考えるかというと「長期騒音でくるしかった」ということを考える。で、これは、書けば書くほど、このサイトに対するアクセスが減る。まあ、どのみち無料ブログを使っているので、アクセスはどうでもいい状態なのだが、話の内容でアクセスが減るというのは、ちょっとショックなことなのだ。ぼくにとって長期騒音がどれだけでかいことか、他の人にはわからないということがわかるからだ。(まあ、これは、ちょっと理論が飛躍しているから、ツッコミどころはある。けど、その話が暗い話しなので、歓迎されないということが、数値になって洗われるわけだから、あんまり気分がよくない。どうしてなら、長期騒音は僕の人生全部にものすごい影響を与えたからだ。いまも、長期騒音の影響を受けている。この影響は、負の影響だ。言ってみれば、長期騒音で消えない障害が発生してしまったのである。
で、まあ、影響を受けているということを言いたい。なので、朝起きたときの気分とか、普通に生活しているときの昼間の気分というのは、長期騒音の影響を受けたものになる。ぼくの場合はそうなるのだが、他の人には長期騒音がないから、僕の話がわからないということになる。こういうところの感覚の差は、実はデカイ。話があうとか話があわないということに影響を与える。僕の経験は絶対少数の経験なので、あんまり受けない。正直に言えば、長期騒音の経験がないものにとって、ぼくの話は関心が生じないことなのだ。まあ、長期騒音の経験がないにもかかわらず、日頃からからだがだるいという人もいる。まあ、その人たちとは、原因はちがうけど接点はあるということか。