ほんとうに、口コミ動画を視てもしかたがない。けど、どうしても、さみしくて、かけてしまう。聴くというよりも、かけてしまう。ロボットボイスでも、普通の人の声を聴きたいというのがある。これは、ようするに、「たいした話ではないけど、その人が思っていること」を聴きたいということ。けど、いやなことを思い出してしまうのである。「こういってやればよかった」と思うことを、思い出してしまうのである。「誤解された」「誤解されたままだ」と思うことを、思い出してしまうのである。これが、心理的には、どうしても、大きなことで、小さなことじゃないのである。
呼吸をするたびに吐き気がするとか、片づけが、あんまり進まないとか、そういうことが、いちおうは、重要なのだ。どうしても、「死」とか「人生」について考えてしまう。けど、小さな出来事なのに、思い出したときは、そのことで、こころが占領されてしまうのである。でっ、それがいいことで、こころが占領されるならいいけど、腹が立つことで、占領されてしまうのである。
相手の誤解が、都合よく深すぎて、どうしても、訂正するとなると、相手を傷つけてしまう部分があるんじゃないかみたいな気持ちが、説明の邪魔をするときがある。でっ、それで、説明しないと、それが、あとで、くる。説明しておけばよかったというのがある。こっちも、発狂するほど、腹が立つことを、我慢していた。説明するとなると、ものすごくおこった口調で、説明することになるのである。もう、怒鳴りつけたい気持ちになるのである。でっ、それを我慢してしまったから、相手が誤解したままなのだけど、それが、頭にくるのである。
けど、これからの人生と、それは、ぜんぜん関係がないのである。まあ、ちょっとは関係があるかもしれない。そういう経験があったので、なんとなく、ひとづきあいがいやになるというところは、ある。