握り寿司を買いに行くかどうか迷っている。これで行っても、さみしい道を行って、さみしい道をかえってくるだけなんだよな。もちろん、さみしい道というのは、俺の主観的な感じ方だ。ほかの人にとって見れば、さみしい道どころか、楽しい道かもしれない。
歓喜に満ちた、道。うれしすぎる道。
まあ、ぼくが長期騒音でやられたので、そういう気分で道をあることになり、主観的には「さみしい道」と表現するようになったのだ。
どうするかな。あの子と仲良く、歩きたかったなぁ。けど、長期騒音でこころがばらばらで、無理なのである。切羽詰まった生活で、無理なのである。