2024年10月2日水曜日

ガタがきてこまっているのに、さらに、よけいな用事を頼まれてしまったのとおなじ状態

 まず、「おまえの身に悪いことが起こっているのは、おまえが悪いことを考えているからだ」とダメ出しをするのである。

そして、まったく役に立たないばかりか、むしろ、有害なことを教えるのである。し

かし、有害なことを教えたとは思ってないのである。

この条件というのは、見えない条件ばかりなので、実際に、その人……助言の対象となる人……本人……の身になって生活してしみないとわからないということが、いっぱいある。

どういう強さの条件が、どの程度の数、成り立っているかということが、他人にはわからないのである。だから、他人というものは、その人……助言の対象となる人……本人……に成り立っている強い条件を無視してしまう。

そして、「明るいことを考えれば明るいことが起こる」とアホなことを言う。

しかし、悪い条件が複数、成り立っている状態で「明るいことを考える」と、逆に「暗いことが起こる確率」が高くなるのである。

「明るいことを考えれば明るいことが起こる」と助言をする人たちは……「自分のこととして考える」ということがない人たちなので、それは、対象者に成り立っている多数の条件なんて、無視だ。

「明るいことを考えれば明るいことが起こる」と他人に言う人たちは、他人のことを自分のこととして考えることがないので、無理なことを言えるのである。「明るいことを考えれば明るいことが起こる」と他人に簡単に言える人は、他人の条件について、考える力が非常に弱い。相手の表面しか見えない。相手の条件は、無視している場合が多い。

これは、助言される人に、圧力が加わったということだ。助言される人は、誤情報を教えられたということだ。誤情報であるということは、ほかのところで述べている。「明るいことを考えれば明るいことが起こる」というのは、妄想なのである。基本的にはまちがった情報だ。誤情報だ。

そもそも、わるい状態で暮らしている人は、ぎりぎりの無理をしている。そういう状態で、圧力をかけられたらどうなるか?

ストスレ対抗でいっぱいいっぱいになっているのに、さらにがんばるということになる。いっぱいいっぱいで、いろいろなところに、ガタがきてこまっているのに、さらに、よけいな用事を頼まれてしまったのとおなじ状態になる。

たとえば、「明るいことを」を無理や考えたことにより、悪いことが発生したって、そんなことは、「明るいことを考えれば明るいことが起こる」と言った人は、まったく気にしない。もともと、「明るいことを考えれば明るいことが起こる」と簡単に言う人は、自分勝手な人で、幼稚な人なので、相手がこまるというとは、認めない。幼稚と言ってしまったけど、これは、幼児的万能感に支配されているということだ。

くるしい状態で明るいことを考えるということが、どれだけ、無理なことか、ぜんぜんわかってないのだ。くるしい状態といっても、まあ、種類がある。程度の問題がある。質の問題がある。「明るいことを考えれば明るいことが起こる」と言う人は、相手の条件を無視して、相手の状態を無視して、幼児的万能感に支配されたことを言うので、たちが悪い。

まあ、はげしく、つらい状態で、「明るいことを考える」ということが、どういうことなのかわかってないのである。そんなのは、考えられるはずがないのである。そして、もし、考えるとしても、からだの状態を無視して、無理やりに「明るいことを想像する」ということだから、むなしさがつきまとうことになるのである。「明るいことを考えれば明るいことが起こる」と言う人たちは、明るいことを考えられる状態しか想定してない。

いたくて、いたくてたまらないときに、「明るいこと」を考えてもしかたがないのである。いたくて、いたくて、たまらないときに、「明るいこと」を考えたって、いたさで、その「明るいこと」は消えてしまうだろう。

くるしいときも、おなじなのである。めちゃくちゃにくるしいとき、「明るい」ことを考えたって、なんのなぐさめにもならない。そもそも、考えることができない。

たとえば、きちがい的な騒音が鳴っている状態で、「明るいこと」を考えても、明るいことは、消滅して、怒りが沸き起こってくるのである。「明るいことを考えれば明るいことが起こる」と言う人たちは、明るいことを普通に考えることができるよゆうがある状態しか、想定してない。

けど、そういう状態でないときがある。そして、複数の悪い条件が重なった場合は、明るいことを普通に考えることができない状態なのである。これを無視するな。

*     *     *

「明るいことを考えると明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」と言う人について考えてみよう。

まず、「暗いことを考えると暗いことが起こる」というのは、事実、くるしい状態の人をせめている言葉なのだ。暗い出来事が発生してくるしんでいるのは、「おまえが、過去のある時点で、暗いことを考えたからなのだ」という考え方がある。「明るいことを考えると明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」と言う人は、相手の現在の状態について、そう考えているのである。

「おまえの身に悪いことが起こっているのは、おまえが悪いことを考えているからだ」とダメ出しをしてしまう時点で、この人は、相手のことをまったく考えてないということがわかる。

この人というのは、「おまえの身に悪いことが起こっているのは、おまえが悪いことを考えているからだ」とだれかに言った人のことだ。

「おまえの身に悪いことが起こっているのは、おまえが悪いことを考えているからだ」ということは「おまえの身に暗いことが起こっているのは、おまえが暗いことを考えているからだ」ということに置き換えることができる。

こんな、アホな決めつけをして、他人を攻撃している人が、他人の状態について深く考えられる人であるはずがない。

他人の状態についてまったく考えることができな人だから、幼稚な考えにしたがって、「暗いことを考えたから、暗いことが起きたんだ」と決めつけてしまう。

この発言をしているときは、相手の条件なんてまったく考えてないんだよ。

そして、「(自分が)相手の条件をまったく考えてないということ」について無自覚なんだよ。

「条件がいいと、明るいことが起こりやすくなり、条件が悪いと暗いことが起こりやすくなる」

 「明るいことを考えると、明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」という考え方は、

すでに、くるしい思いをしている人を、さらにくるしめる。

条件が、「苦しい状態」をつくりだしている。条件が、その人にとって「苦しい世界」をかたちづくっている。環境だ。条件だ。人によって、条件がちがうのである。「どんなうちにうまれたか」ということも、条件のひとつだ。

そして、この条件は「本人にはどうすることもできないこと」である期間が長い。

そして、いわゆる、密告による救済だけど、これが救済になってないのだ。つねに、建前とは、逆のことがおこなわれると考えたほうがいい。だから、社会的な救済はないと言っていい。

条件が悪い人には、いろいろと不愉快な出来事が発生するようになっているのである。条件がいい人には、いろいろと、楽しい出来事が発生するようになっているのである。

条件が悪い人は「運が悪い」と表現されることが、たびたび起こるようになっているのである。条件がいい人は、「運がいい」と表現されることが、たびたび起こるようになっているのである。

条件が、出来事の質を決めてしまっている。そして、「不可避である」部分がある。ところが、他人の条件を無視してしまう人は、他人に対して、「さけられることだ」と言ってしまう。しかし、助言される側の人間にとっては、さけられないことである場合が多い。

そりゃ、他人の……詳細だが頑丈な条件は、なかなか見えないところがあるので、「さけられることだ」と言ってしまう。

条件について言われれば、条件の概要は理解できるはずだと思ってる鈍感な人たちがいるけど、ほんとうは、条件について言われても、鈍感な人たちが、(対象となる人の)条件を無視してしまえば、助言をされる側の条件は、助言をされる人に影響をあたえてないことになってしまうのである。

鈍感な人たちは、他人の条件について、考え違いをしてしまうのである。

たとえば、AさんとBさんがいるとする。Aさんは、助言をする側だとする。Bさんは、助言をされる側だとする。

Bさんにとっては、不可避な条件なのだけど、鈍感なAさんにとっては、他人の話だから、Bさんの条件は不可避な条件には、見えないのである。

Aさんは、Bさんの条件を簡単に回避できるような条件だと思ってしまうのである。

ところが、Bさんにしてみれば、回避不可能な条件なのである。そして、条件からしょうじる「わるいこと」も回避不可能なのである。

この回避不可能性について、軽く見る人たちがいる。

ともかく、Aさんのような能天気な人たち、Aさんのような鈍感な人たちにとってみれば、他人の深刻な出来事は、たいして深刻な出来事ではないのである。そして、深刻な出来事をもたらす条件は、たいした条件ではないのである。

*     *     *

冒頭にもどると、 「明るいことを考えると、明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」いうのは、真っ赤な嘘だ。

ほんとうは「条件がいいと、明るいことが起こりやすくなり、条件が悪いと暗いことが起こりやすくなる」だけなのである。

だから、条件が悪いと、どれだけ明るいことを考えても、なかなか明るいことが起こらないということに直面することになる。条件の悪い人は、どれだけ明るいことを考えても、明るいことが発生せず、暗いことが起こり続けるということになる。

それは、悪い条件が、暗いことを発生させるのだから、条件がかわらない限り、高い確率で、暗いことが起こり続けるのである。

ところが、それを、「暗いことを考えているからダメなんだ」と、悪い条件の人のせいにする人たちが、あらわれる。

精神世界の人たちだ。

精神世界の人たちというのは、基本的に、幼児的万能感が捨てきれない人たちだ。幼児的万能感に強く支配されている人たちだ。

だから、基本的な思考が、幼児的万能感によって支えられた思考になる。その思考を、「悪い人たち」によって使われ、簡単に洗脳されてしまう……。

えらそうなことを言って、もともと、条件が悪い人のことを、言葉でいじめているのである。条件が悪い人に、『負のストローク』をあたえているのである。もちろん、悪気はない。ほんとうに、相手のことを考えるのが、苦手なだけなのである。

いつも読んでくださるかたに感謝しております



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