2026年9月10日木曜日

2026/09/10 11:28

前提の部分に間違いがある人に、「前提の部分に間違いがある」ということを、言いにくいんだよな。ものすごく、指摘しにくい。これが、いやなんだよな。

たとえば、中国女店員に「前提の部分に間違いがある」ということを言いにくい。

たとえば、だいじょうぶ店員に「前提の部分に間違いがある」ということを言いにくい。

中国女店員に「店で食べるものと、持ち帰るものを、注文されたら、一緒に出すようにするべきだと思っているみたいだけど、店で食べるものを先に出すべきだ」とは言いにくいのだ。「両方とも一緒に出すべきだ」という前提に間違いがあるのである。けど、これを実際に指摘された、中国女店員は、しゃがみこんで、両手で頭を抱えて「あの人きちがい、あの人きちがい、あの人きちがい」と絶叫してしまったんだからな。俺が指摘したわけではないくて、だいじょうぶ店員が指摘したわけだけどね。

だいじょうぶ店員に「あなたは、自分が店で食べるものと、持ち帰るものを、注文されたら、店で食べるものを先に持って行くべきだと思っているけど、そう思っていない店員がいる」ということを指摘するのは、いやなことなんだよ。そういうふうに言われたら、だいじょうぶ店員は「だれが、そうした」ということを訊きだそうとするだろう。中国女店員はわかっていないと言えば、中国女店員からすれば、自分がいないときに、告げ口をされたような気分になるだろう。だいたい、ほかの客もいるのだから、「前提の部分に間違いがある」という、割と時間がかかる話をし始めるのは、ちょっと、気が引ける。

まあ、あれに関しては、中国女店員には、かならず、「店で食べるものを先にもってきてください」と言って、だいじょうぶ店員には、どれだけ不安な場合でも、「店で食べるものを先にもってきてください」と言わなければよかったんだよな。そういうルールにしておけばよかった。全員に言うというルールが一番確実な結果をもたらすルールだったんだけど、だいじょうぶ店員が『言われることにこだわる』とは思わなかった。だいじょう部店員にしてみれば、「店で食べるものを先にもってきてください」と言われることが、(あんまりいいことじゃない)のだよな。「そんなのは、あたりまえだから、言わなくていい」「いちいち言う必要はない」という感情がうまれる。

これが、わからなかった。「そんなのは、あたりまえだから、言わなくていい」「いちいち言う必要はない」というような意味の反応かえしてくる店員がいるということが、最初の時点では、わからなかった。俺には、わからなかった。

だいじょうぶ店員は、自分がわかっているから、ほかの店員もわかっているはずだと思っていた。ようするに、だいじょうぶ店員は「店で食べるものと、持ち帰りするものを、両方とも頼まれたら、店で食べるものを先に出す」というルールを理解している。そして、「ほかの店員も、このルールを理解している」と思っていた。「ほかの店員も、このルールを理解している」という前提が間違っている。間違った前提だ。間違った前提だけど、本人は、間違っているとは思っていないので、間違いを指摘されると、ある程度、不愉快な気持ちになるのである。基本的な部分の間違いを指摘されると、(人は)あんまり良く思わない。どうしても、不愉快だという感覚がしょうじる。どうしてかというと、間違いだとは思っていないからだ。

前提となる部分は、本人にとって「あたりまえ」のことだから、まちがっているとは思っていないのである。まあ、だれだって、間違いを指摘されるのは、いやなことだと(ぼくは)思う。特に、自分の深いところにある間違いを指摘されるのは、だれだって、いやことなのではないかと(ぼくは)思う。

 

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