隣の家の室外機がバイクのようにうるさいので、こっちも対抗して、音楽をかけているのだけど、ほんとうは、しずかに暮らしたい。無音のほうがいい。まあ、音楽というのは、バロック音楽とむかしの洋楽。どっちも、YouTubeの動画。
しかし、長期騒音のことが、大きい。ひとりで暮らしていると、「自分の人生はなんだったんだ」と思うことがある。多々ある。
それで、さっき起きたときも、ものすごい、感情が襲ってきて、やけを起こしたいような気持になったのだけど、なんとか、さけた。
ちょっと、散財した。
どうしようかなぁ。こんなことで、ごまかし続けても……。上のこととは、別で、小さいことが浮かんでくる。これは、「こういうふうに説明すればよかったな」「あのときは、ああすればよかったな」というようなことだ。こういうことに関しては、ネット上のことが多い。掲示板、SNS、チャットルーム……そういうところでのことだ。これらのことは、長期騒音のことにくらべると、ずっとずっとずっとずっと、小さいことなのだけど、作業中に、なんか、浮かんでくるのだ。
そして、それは、「間違った対応をしてしまったのではないか」というような危惧?なので、なんか、浮かない気分になる。
危惧であればいいのだけど、相手の気持ちを、深く考えると、「こういう対応のほうがよかった」と思えることなのだ。
けど、細かいことを言えば、そういう対応ができない条件が成り立っていたのである。かねあわせというのがある。ほかのことを優先して、そっちを切った……。
だから、ああいう対応になったのだ。その場合、まったくおなじ条件が成り立つなら、どうなのだろうというような気持がある。
しかし、まったくおなじ条件なんて、成り立つわけがないのだ。ともかく、気にしすぎと言えば、気にしすぎなのだけど、勝手に、浮かんでくる。
あのあと、横になって、40分間ぐらい、眠ったのだけど、起きたときの気分が並じゃないのだ。並じゃなかったのだ。