わかっている店員には、言わないようにすればよかったのだけど、中国女店員がまちがえたあとは、どうしても、「言わないとやばい」という気持になるから、言ってたんだよな。わかっている店員は、すべての店員がわかっているという前提でものを言うから、「そうなのか」と思って、中国女店員に、「店で食べるものを先に持ってきてください」と言わないようにしたら、中国女店員は、店で食べるものも、持ち帰りのものも、一緒に出さなければならないと思っているから、厨房に、いっしょに持っていくと言ってしまう。だから、店で食べるラーメンが、さめた状態で出てくるのだ。これ、中国女店員に間違われたあと、「かならず、店で食べるものを先に持ってきてください」ということをつけくわえて言うようにしようと思って、わかっている店員に言うと、「そんなこと、言わなくてもわかってます」「言わなくてもいいですよ」と言われるので、また、「言わなくていいモード」になってしまうんだよな。これ、中国女店員に対する対応がまちがっていたのではなくて、わかっている店員に対する対応がまちがっていた。けど、中国女店員に、まちがわれているので、言いにくいんだよな。言いにくさがあることがある。わかっている店員に対処するべきだった。言いにくいんだよなぁ。わかっている店員に、中国女店員はまったくわかってないから、一緒に出されてしまうということを言うのがいやだった。オーダーのときに言うことだから、あんまり、時間をかけて説明するのもいやなんだよな。何回か、中国女店員が、ミスをしている。わかっている店員は「どの店員もわかっている」という前提で言っているんだよな。前回書いたけど、わかっている店員は、中国女店員がわかってないということがわかってなかった。でっ、ほんとうに、店で、「ここで食べるもの」と「持ち帰りのもの」を注文する人が俺だけだったんだよな。ほぼ、毎回、そうしていた。けど、「持ち帰りのもの」を注文する気がなかった時に、「ここで食べるもの」だけを、中国女店員に注文したら、中国女店員が、「持ち帰りのものはなににする」「いつも、注文している」「持ち帰りのものはなににする」「いつも、注文している」「持ち帰りのものはなににする」「いつも、注文している」と、言ってまとわりついてきたんだよな。「いや、今日は、ここで食べるだけだから、持ち帰りのものは、いいです」と言ったら、それも、不満そうで、「そんなのおかしい」という態度だったんだよ。これも、わかっている店員のほうが中国店員に、「今日は、持ち帰りのものはないんでしょ。そりゃ、持ち帰らない時だってあるでしょ」と言っていたんだよな。中国女店員の「頭のなか」では、「いつも、持ち帰るものを注文するので、今日も注文するはずだ」ということになっていたんだよな。いや、持ち帰るものを注文しない時だってあるでしょ。なんで、こういうふうに、いちいち、へんな考え方になってしまうのか。
日本語が不自由だから、間違えてしかたがないと思っていたけど……当時は思っていたけど、かりに、中国語で話していたとしても、間違うのではないかと思う。まちがうポイントが、勘違いだもんな。中国女店員が母国で、母国語で働いていても、やっぱり、同じ間違いをするのではないか。ああいう子に、作業をさせるべきではない。どうしてかというと、頭のなかのへんな考えが、ほかの人にはわからないからだ。へんな思考の癖があるという前提で話をするのは不可能だ。どうしてかというと、具体的なへんな思考というのは、間違ったあとじゃないとわからないからだ。問題がしょうじるまでは、隠されているのである。あの人の頭の中に。
あと、「の」の重複は、気にしなくていい。中国女店員のなかでは……と書いたけど、どうしても、中国女店員の頭のなかではと、書きたかったので、そう書いた。なになにの頭のなかという表現は、それほど、不格好なものではない。わりと、使われる表現だ。「おまえの頭のなかではな……」「おまえのなかではな……」。どっちでもいいけど、「おまえの頭のなかではな……」のほうがしっくりくる。