カネがあれば解決できることは、いくらでもある。カネがないから、解決できないことも、いくらでもある。カネは、しあわせに直結している。
カネが、しあわせを保証するわけではないけど、生活上の「不都合」に直結している。不愉快な出来事を避けられないのに、しあわせなんてことはないんだよ。どうして不愉快な出来事を避けることができないかというと、カネがないからだ。
もちろん、カネがあったとしても、避けられない不愉快な出来事はある。
しかし、カネがあれば、避けられる不愉快な出来事もあるのだ。何度も言うけど、不愉快な出来事をカネで避けられるなら、その分、しあわせだ。もちろん、その分、しあわせなら、完全にしあわせかというとそうではない。
あくまでも、カネがあれば避けることができる不愉快な出来事を避けることができただけだ。
けど、相対的には、「その分」しあわせになっている。
そりゃ、カネで、自分が満足できる「完全なしあわせ」を手に入れることは、できない場合だってある。
どうしてかというと、自分が感じる「完全なしあわせ」に、ほかの人がかかわっている場合は、ほかの人の気持ちは、おカネで完全に支配できるわけではないので、おカネは、「完全なしあわせ」を供給するとは限らない。ようするに、不備がある。
けど、その場合だって、おカネがあるほうが有利である場合が多い。おカネがなければ、スタートラインにすら立てない場合だってある。たいていの場合は、おカネがあったほうが有利だけど、おカネがどれだけあっても、人の気持ちを支配することができない場合があるのだから、おカネが、「その願望を満たすしあわせ」を運んでくるとは限らない。
だったら、「おカネではしあわせは買えない」と言えるかというと言えない。これがわかってない人が多いんだよな。理論的な問題だから理解しておいたほうがいい。
ほかの人がかかわっていない場合にも、おカネではどうにもならない場合がある。おカネをどれだけつんでも治らない病気にかかってしまったら、おカネではどうにもならない。しかし、おカネがあれば治る病気もある。
おカネは、どんな場合でも、しあわせを運んでくる「オールマイティーカード」かというと、そうではないのだ。
そうではないけど、おカネがしあわせを運んでくる場合もあるし、おカネで、しあわせな生活を維持している場合もある。
ようするに、前投稿でも述べた通り、おカネでしあわせを買える場合もあるし、おカネでしあわせを買えない場合もある。おカネでしあわせを買える場合があるのだから、「おカネでしあわせは買えない」と言いきることはできない。