2023年6月23日金曜日

ぼくは「たぶん」とつけているでしょ

 不可思議なパーティーをやって、政治家や裁判官をおどしていたというのは、「たぶん」ただしい。「ネタづくり」なんだよ。脅しのネタづくり。これは、「陰謀論」で片づけられる問題じゃないんだよ。けど、インテルとインテル信者(Qアノン)の活躍によって、こういうものが、「陰謀論」の一言で片づけられるようになってしまった。ぼくは「たぶん」とつけているでしょ。可能性はあるということね。可能性を最初から排除してしまってはいけないということだ。「狂人・狂信者に見えるインテルとインテル信者(Qアノン)が言っているから、正しくない→考えるに値しない→可能性はない」……と考えてしまってはいけないわけ。たとえ、インテルとインテル信者(Qアノン)が言っていることでも、可能性は捨てないで考えないといけない。これが重要。みんなこれがわかってない。

 

 「狂信者・狂人に見えるインテルとインテル信者(Qアノン)が言っているから、正しくない→考えるに値しない→可能性はない」という思考の流れは、「社会」を狂信しているからしょうじる思考の流れだ。狂信していると言っていいほどの狂信ぶりなんだよ。どっぷりつかっているので、わからないと思うけど。

何度も言うけど、フラットアースは物理現象という動かぬ証拠があるので、可能性を考えたあと、否定できる。けど、こういうことに関しては、完全に否定してしまうことはできない。可能性は考えておかなければならない。可能性があるということは考えておかなければならない。完全に否定されるまでは、可能性があると考えておかなければならないことだ。それを、最初から……「狂人が言っているから嘘にちがいがない」と(可能性について)考えることを放棄してしまうという態度は、じつは、科学的ではない。こういうことに関しても、大衆は、誤解をしている。なにが科学的なのか、ということについて、大衆は誤解している。

もし、その人から見て「狂人」に見える人が、「偽、偽、偽、真、偽、偽、偽」のセットを言ったら、「狂人が言っているから嘘にちがいがない」と思っている人は、「偽、偽、偽、真、偽、偽、偽」のなかの「真」を見逃してしまう。そのなかの「真」に関しても「偽」だと思ってしまう。

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