2023年6月27日火曜日

ご飯がうまいかどうかと、働いているかどうかは、まったく関係がない

 「働かずにくっためしは、うまいか」「 仕事をせずに食べたご飯はうまいか?」という言い方がある。これについてちょっと述べておく。

ご飯がうまいかどうかと、働いているかどうかは、まったく関係がない。このふたつのまったく関係がないことを、結びつけて考えるのがおかしい。

……これが、結論だ。

結論から言うと、そうだ。

いったいなにを考えて「働く」ということと「食べてうまいと感じるかどうか」を結びつけて考えるのか、想像するしかないけど、これは、よくない考え方だ。働いてない人を暗にせめて、追い込もうとしている。

追い込むことが目的なので、へんな話をするということになる。

からだを動かしたあと、食べたご飯がうまかった……。これならわかる。散歩でも、サイクリングでも、好きなスポーツでもやればいい。やったあとに、おなかが減った状態で食べたご飯が、とてもうまかった。これなら、わかる。

けど、この場合、働いているかどうかということが問題になっているわけではない。からだを動かしたかどうかということが問題になっている。

さらに、腹がへったあと、食べるご飯はうまいというようなことも、言っているかもしれない。

仕事で食べることができなかった。あるいは、残業でご飯の時間がおくれたので、普段よりも、腹がへっていた。だから、腹ペコな状態で、食べた。腹ペコな状態で食べたらおいしかった。……これなら、わかる。

しかし、これも、仕事でおくれたにしろ、空腹かどうかが関係しているわけで、ほかのことでおくれたとしても、かまわないわけだ。ゲームに夢中になって、食べるのがおそくなった。腹ペコな状態で食べたら、うまかったとする。

そういう場合は……「ゲームをせずに、食べるご飯がうまいか?」ということにはならない。「仕事をせずに食べるご飯がうまいかどうか?」……こういう質問は、じつは、働いていないということを道徳的にせめる言葉なのだ。そういう質問だ。

なので、本来関係がないものを無理やり結びつけて、「叱責」しているというわけさ。こんなのに、つきあってられるか?

仕事をしたあとに、食べたご飯がうまいということはある。それは、からだを動かした後に食べたご飯がうまかったということや、腹がへった状態で食べたご飯がうまかったということに、置き換えられる。

仕事とは、本来は関係がない。

仕事でなくてもいいからだ。

仕事でそうなる状態はあるけど、それは、仕事のみによって、もたらされることではない。ようするに、仕事でなくてもいい。

それから、こどもは働いてないけど、こども時代に食べたご飯が、まずかったのだろうか? そんなことはないだろう。こども時代に食べたご飯でも「これはうまい」と感じたものがあるはずだ。

まあ、そういうことを言うと、「こどもはこども」というようなことを言いだすと思う。

「仕事をせずに食べたご飯がうまいかどうか」が問題になっているのだから、当然、仕事をしてない……こども時代や学生時代に食べたご飯も、うまくないということになってなければならないのだ。理論的にはそうなる。おかあさんの手料理がまずいなんて、かわいそうなやつらだな。

いちおう、質問形式になっているけど、「 仕事をせずに食べたご飯はうまいか?」という質問をする人には、「仕事をせずに食べたご飯はまずいはずだ」「仕事をして食べるご飯がうまいはずだ」という思い込みがある。

そして、そういう意見をおしつけて、「仕事をしてない人」を追い込むつもりなのだ。

道徳的に、ダメダシをして、働かせようとしているのだ。

こんな、姑息な手段を使う人に、いい人がいるのかどうか? それこそが問題だ。

 

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