起きた~~。起きたら、さっそく「このさき、どうしよう」と思っている。このさき、どうするかな? みんな、わかってないんだよな。これは、すごいことなんだよ。みんな、わかってない。だいたい95%ぐらいの人がわかってない。あーー。まあ、いやおうなく、3年間でわかるようになるかな。まあ、それじゃ、おそいんだけどな。
このさき、どうするか?
それは打ってない人にも言えること。……あるいは、打ってない人に言えることか。
俺は俺で、それとは関係がない問題をかかえているのだ。関係がないと言えば、関係がないのだけど、関係があると言えば関係がある。これから、のことを考えるなら、どうしても、たしょうの関係は出てくる。
けど、ようするに、ほかの人にはない、累積した問題があるということね。
その問題と、みんながかかわっている問題の、かけあわせになるわけ。だから、やっかいなんだよ。変数が増えるわけだからさ。
気持のことを言えば、ぼくが今の状態で旅行に行ったって、そんなもの、なんにもかわらない。どこかの人が、樹海に行ったような気持ちになるだけだからさ。
食べ歩きも、別にどうでもいいわけ。そういうのは、もう、どうでもいいや、という気持がある。けど、ときどき、喫茶店の雰囲気がなつかしくなったりするわけ。そういうときは、喫茶店に行こうかなと思うわけ。
けど、コーヒーが飲めなくなったし、わざわざ、エクソソームにさらされに行く必要はないかなと思うわけ。
あとは、自分の体調の悪さが気になる。これは、はなれることができない問題だろ。「元気だ元気だ」と言っても、元気になるわけじゃない。ちゃんと理由があって、だめになっているわけだから、その理由に対処しなければならないわけ。けど、これがむずかしい。
総合して言うと、たとえば、ぼくが、「元気だ元気だ」「楽しい楽しい」と言って、旅行に行ったとしても、元気にはならないし、楽しくもならないわけ。けど、旅行なるものに、未練があるかどうかというと、未練はあるんだなぁ。
やらなかったことだから、まあ、旅行の話を聞いたり、旅行の本を見たりすると、「行ってもいいかな」という気持にはなる。旅行の本と書いたけど、実際に、旅行の本を見るわけではなくて、ウエブページでそういう本の紹介を見るだけだ。
まあ、具体的にどこかに行きたいなら、いろいろな行動をおこすのだろうけど、具体的にどこかに行きたいわけじゃないから、そういう行動になる。具体的に、どこどこに行きたい……どうしても行きたい……○○を見てみたい……まるまるを食べてみたい……そういう意欲が、ものすごく、ちいさくなっているわけ。
「まあ、旅行なんてどうでもいいよ」という話になる。実際、旅行どころか、ちょっとした部屋片づけと引っ越しのことを考えるだけで、相当にめんどくさい気分になる。やりたくないのである。めんどうくさいのである。
けど、ぼくだって最初から、こういう状態ではなかった。日本語の意味で、こういうテンションじゃなかった。テンションって、英語だと緊張感という意味しかないんだよね。なんか、日本語だと、やる気の度合いみたいなものまで、テンションって言うよね。やる気の度合い、明るさの度合い、わざとらしさの度合い……そういうものまで、テンションというような場合がある。まあ、いいや。
ようするに、最初から、つかれはてていたわけではないのだ。いろいろとあって、つかれはてたわけ。そのつかれは、たとえば「元気だ元気だ」と言うことでは……とれない。
言霊的な理念じゃなくて、日常生活と関係のある話をしようよということになる。日常生活のあれやこれや……おもに、家族という他人によってもたらされた、継続的なあれやこれやで、つかれはてた。
こころが、にぶくなった。
(いろいろなことに)興味をもてなくなった。
別に「つかれるぞつかれるぞ」と言って、つかれたわけじゃない。「俺はいろいろなものに対する興味をなくすぞ!なくすぞ!なくすぞ!!」と言って、いろいろなものに対する興味をなくした(うしなった)わけじゃない。