つまんない。死と老化について考えてしまう。
自分が家でやられてきたことについて考えてしまう。そして、長期騒音について考えてしまう。そして、長期騒音で疲れ果てて失敗している俺に、他人が言ってきたことについて考えてしまう。 これ、他人は基本的に、きちがい家族によるしつこい騒音というものを経験したことがないので、わからない。言葉で言っても、わからない。長期騒音で疲れ果てていると言っても、「そんなのは過去のことなんだから関係がない」と思ってしまう。あるいは、「どれだけでかい音で鳴っていると言ったってたいしたことじゃない」と思ってしまう。『きちがい家族』というものが、どういうものなのかわかってない。
まあ、ともかく、 むなしい。女の子のことだって、きちがい長期騒音がなければあんなことにはなっていないのだ。これも、きちがい長期騒音がない現実というのが、ないために、「なくてもそうなったかもよ」と言われるようなことになってしまう。けど、きちがい長期騒音がなかったら、ないよ。ばーか。