基本的なことを言うと、人間は、労働から解放されると思う。しかし、一瞬で解放されるとか、2日で解放されるということはないと思っている。移行期間が必要だ。そして、移行期間はだいぶ長くなる。人間が「労働」から解放されても、本人が好きなことをやると、いまの世界の人から見ると「労働」をしているように見えるかもしれない。すべての人ではないけど、自分が好きなことをやると、その部分が、いまの世界の人から見ると「労働」をしているように見える場合がある。けど、たとえば、会社と労働契約をして労働しているのではないのである。「労働」というものをどういうふうにとらえるかということが問題なのだ。いまの世界の労働はなくなるけど、それは、人間がなにかをするということがなくなってしまうというわけではない。その……なにかが、社会や他人の役に立つ場合がある。いまの人間の視点から見ると、労働しているように見えてしまう。
人間というよりも、人類と言ったほうがいいのか? ともかく、神様がおりてきたら、一瞬で、紙のテクノロジーによって労働から解放されるということはない。手続きが必要なんだよ。現実的な手続きが必要。なんか、神様が降臨したとたんに、人間が、労働から解放されると考えている人がいるのだけど、それはちがうと思う。ぼくは、ちがうと思う。けど、その人が、「労働から解放される」ということと「一瞬で労働から解放される」ということを混同していると、ぼくが「労働から解放される」ということを、否定しているように、その人からは見えてしまうのだ。こういうのも、やっかいなんだよな。 「労働から解放される」ということと「一瞬で労働から解放される」ということは、ちがうことだ。神様が降臨したら、一瞬で(人類が)労働から解放されるという考え方を、ぼくが否定したとしよう。それは、別に、(人類が)労働から解放されるという考え方を否定したわけではないということに、注意してほしいんだよなぁ。
神様が降臨するということに関しても、その人と、ぼくの解釈はちがうわけ。まるでちがうことを言っているわけ。あるいは、思い浮かべているわけ。「神様が降臨する」ことを信じているかどうかということに関しては、時間を制限しないなら、可能性があるとは思っている。そしてまた、「神様」に関する解釈がちがうみたいなんだよな。可能性があるということは、15日以内にかならずおこるということを言っているわけではないんだよ。たとえば、15日以内にかならず神様が降臨するということを信じている人は、いい人で、15日以内にかならず神様が降臨するということを信じていない人は、「ひつじ」とおなじだと言うのは、よくないことだ。失礼なことなんだよ。あんまり、こういうことを言わせないでよ。
時間を制限せずに、「可能性がある」と言うことと、「何年の何月何日に、絶対にこうなると」言うことは、ちがうんだよ。なんで、これがわからないかな。