昨日は、めずらしくみぞれが降っていた。みぞれは、ひさしぶりだな。
いま、午前4時30分ぐらい。どうするかな?
買い物に行くかどうか迷っている。迷っているのだ。
ペペロンチーノのスパゲッティーがほしい。暗くてさむい道を歩くことになる。
さむいよ~、さむいよ~と思いながら歩くわけか。
どうするかな?
もうそろそろ、一月が終わる。一か月間なにをしてきたのか?
まあ、このサイトを見れば、わかるわけだけど……。
ほんとう、去年と一昨年はいろいろとあったなぁ。いろいろとあったわぁ~~。
ところで、アニメとかドラマもあんまり、おもしろく感じないんだよな。なんとか、したい。なんか、楽しみがないとなぁ。
買い物だって、楽しいときはあった。けど、むりやり「楽しいと思おう」と思ってもむだなんだよ。ぼくの場合はね! これ、意見がわかれるんだよな。俺が経験したことを経験してないから、水準がちがうのだと思う。
意識水準のほかに、意欲水準みたいなものがあって、普通の人でも、意欲水準が一日のなかでちがうし、一年のなかでちがうわけなんだけど、そういう変動ではない変動がある人がいるんだよね。
一度、うつ病になった人のうち一部の人は、それ以前の状態に意欲水準が戻らないと思う。これは、一生、続くんじゃないかな。普通の人は、そういうレベルでの意欲水準の降下がないから、わからない。「休めば、回復する」と思っている人とはちがう。
「休めば回復する」と思っている人は、そういう経験があるわけで、そうじゃない経験がないという状態で生きているのだと思う。
「休めば回復すると思えば、回復する」と言い出す人が出てくると思うけど、その人たちは、ほかの人にはそう言わないで、自分のなかでそう思っていればいいと思う。言われると、「休めば回復すると思えば、回復する」という意見が正しいのかどうか、話し合わなければならなくなる。けど、こういうことに関しては、個体ごとに、経験がちがうので、そもそも、話が合わない。
いちおう、「休めば回復すると思えば回復する」ということが、正しいのかどうかということは問題にしないようにしよう。
「休めば回復する」ということに関しては、休んで回復する人もいれば、休んでも回復しない人がいるということなのだと思う。「休めば回復する」という命題が正しいなら、休んでも回復しない人がいるということは、正しくないということになってしまう。
けど、休んでも回復しない人がいると思うんだよね。
だいたい、休んで回復するのであれば、どんな病気にかかったって、回復することができるということになる。「休めば」回復するのだから、回復する。けど、それは、経験則から言ってちがう。なので、ちがう。
休んだあと、死んでしまう人もいるのだから、「休めば回復する」という命題は成り立たない。
「休めば回復することもある」という意味でなら、成り立つけど、それは、また別の命題だ。もともと、ちがうことを「休めば回復する」というひとつの文であらわそうとすること自体がまちがっている。「ぜんぶなんて言ってない」「かならず回復するなんて言ってない」と言い出すかもしれないけど、「休めば回復する」ということは、「休めばかならず回復する」と等価なんだよ。