(1)ほんとうにつまらないやつは、「仕事がつまらない」「仕事がつまらない」と言っているやつだ。つまらないと言っているやつの頭は、からっぽだ。
(2)脳内変換すれば、仕事が楽しくなるのに、脳内変換ができないなんて言う。 脳内変換ができないんて言っているやつの頭は、からっぽだ。
仕事場で(1)(2)のようなことを言われれば、怒る人が、「物事」という言葉で、「全体」に関しては、おなじことを言ってしまう。自分が仕事について言ってきたことを思い出したほうがいい。「見方を変えればいい」と言われたって、いやな仕事は楽しくならないんだろ。むりなものはむりなんだろう。それなら、そういうことが、全体に対して成り立っているやつだっているということが想像できないかな?
仕事で「いやな思いをしてきた」のであれば、対象は仕事だけだ。けど、全体的にいやな思いをしてきた人はどうか? 仕事ではなくて、日常生活全体が対象になる。
どうして、そういうことになってしまうかというと、日常生活全体で「いやな思いをしてきたから」だ。日常生活全体でいやな思いをしてきた人と、仕事でだけいやな思いをしてきた人は、範囲がちがうだけで、しくみとしてはそんなにちがわない。
なので、セミリタイア愛好者が「つまらない仕事をおもしろい」と思えないのと同じように、日常生活全体がつまらないと感じる人は「つまらない日常をおもしろい」とは思えないのである。
範囲がちがうだけだということに考えが及ばない。頭がからっぽなのは、どっちだ??
頭がからっぽだから、想像できないんだろ。 最後には「こころがけの問題だ」とか「自分の気持ちを見つめなおしたほうがいい」と社畜上司とおなじことを言い出す。ちがう??
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