2023年3月15日水曜日

SNS雑感

 むかし、あるSNSで、食べ物屋のリンクを貼られたときがあるのだけど、対処にこまった。その人は「善意」で、こういう店があるよということを俺に教えたかったらしいのだけど、その店の料理がまずそうなのである。まあ、写真の問題なんだろうけど、こんなの、食いに行きたくないと思ったんだよね。それに、ぼくが、その店のリンクを含んだコメント投稿をぼくのスペースにのせておくというのは、問題があるような気がした。人によっては、ぼくがその店の宣伝をしているように思うかもしれない。これが、店のリンクじゃなくて、宗教団体のリンクだったらどう思うか? まるで、放置しておくということは、まるで、その宗教団体をぼくが支持していて、その宗教団体の広告を載せているようなものじゃないか。でも、「食べ物屋に対するリンクは必要ありません。今後、こういうリンクをふくんだコメントを入れないでください」と書くと、相当に、怒りそうな感じがした。なので、ていねいにそういう店もあるんですねという返しのコメントを入れたんだけど、それが、気にくわなかったみたいなのだ。「ただ、こういう店もあると教えてやっただけだろ」と気分を悪くしてしまった。そういうふうに、むこうの投稿に書いてあった。で、まあ、ほんとうに言いたかったことは、食べ物屋のリンクを入れたコメントを表示したままにすると、まるで、俺がその食べ物屋の広告をしているみたいだから、いやだということなんだよね。まあ、けっきょく、縁が切れたわけだから、それでいいのだけど……。これ、たぶん……「特定の食べ物屋にリンクしたコメントは入れるな」と率直に書いても、怒っていたと思う。特定の食べ物屋にリンクしたコメントというのは、そういうリンクを「ふくんでいる」コメントのことだとする。

けど、じゃあ、俺が好みの店にリンクが貼ってある投稿だったらどうか? そもそも、削除したいとか、広告みたいになるのはいやだな思ったりしないと思うんだよね。別に俺が、前投稿……もともとの投稿で、「食べ物屋を教えてください」と書いたわけじゃないんだ。食べ物屋のリンクを含んだコメントがはいってくるとは思わなかった。けど、この人は「暇なら、こういうところに食べに行けば(いいんじゃねぇ)」というノリで入れてきたんだよな。これ、「リンクがあると、広告みたいになっていやだ」と思うのが、気にしすぎなのか、どうかわからないところがある。とくに紹介されている料理が、写真のせいか、まずそうだったのである。「これ、うまそうだと思う人いるの?」みたいな感じだったんだよな。写真を見ると……。けど、その人は、ほんとうにうまいと思っているみたいだったんだよな。だから、そういうところの感覚のちがいが、ベースにあるんだけど、なんか、やりにくい人だったんだよ。自己紹介のところに「(自分は)性格がわるいです」みたいなことを書いてあったの……。まあ、だから、その人が、自分のスペースにその店のレポートを書いて、食べ物屋に対する直リンクなしで、「自分のところに、おいしそうな店について書きました。暇なときはこういうところに行くのもいいかと思います」と書いてくれたらよかったんだよな。

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「自分は性格がわるいです」も、たしょう違和感があるんだよな。内容のことではなくて、文法的にしっくりこないのである。「自分は性格がわるいのです」「自分は性格がわるいんです」と書くべきところなのではないかと思ってしまうのである。

手短に言うと、自己紹介文のところに「自分は性格がわるいです」と書くのは、内容的にも違和感を感じる。まあ、そういうセンスなんだろうけど。

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形容詞のあとに「です」をつけるのは、文法的に正しくない場合がある。(たぶんだけど、正しくない場合しかない)

けど、まあ、「タラちゃんことば」というか、もう、市民権をえているところがある。

「自分は性格がわるいだ」……これだと、違和感を感じる?

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1168591036


この花は白いだ。……おかしいよね。

けど、

この花は白いです……おかしさが減少する。

この花は白だ……これは文法的に正しい。「白」は名詞になっている。

形容詞のあとに、「だ」をつけて、文法的に正しく感じるケースというのはあるのかな?

いつも読んでくださるかたに感謝しております



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