いま、玄関の前にある通販の箱をいっぱい持ってきたのだけど、全部に、ワク臭がついている。中の箱もくさい。しかも、一度、ダニ用のクリスがはいっている袋を、階段のところの床に落とした。二階の引き戸を絶対に閉めないと、たいへんなことになるので、両手で持っていたもの、片手で持とうとしたときに、落ちた。二階の引き戸が開けっ放しだったら、落としてないわけ。わざと、ネズミ対策として、閉めているわけ。でっ、薬の入っている袋をあけたら、その作業中に、親指をダニに刺された。袋をあけるまえ、袋を落とす前は、かゆくなかったところに、赤い点ができてかゆくなった。もう、すべてがこれだよ。一か所だって、刺されたくないのに、もう、いたるところで刺されている。親父がきちがい行為を二か月間も続けなかったら、こんなことになってない。もう、いやだ。そして、ワク臭がまた、俺をイラつかせるのである。ワク臭とダニで、もう、頭が狂いそうなほど、こまっている。買ったばかりの、室内用ズボンをはいて、段ボールの解体と、ワク臭付きの包装紙やその他のものを処理したのだけど、そのときに、また、ダニがついた感じがする。これで、おろしたばかりの室内用ズボンがダメになる。これは、熱湯処理するつもりだけど、熱湯処理がまた問題なのだ。ちゃんとした乾燥機があれば、それでもいいのだけど、ダニがいる部屋に作業員さんを呼べないので、おカネはあるけど、でかい乾燥機を置けない。置くところも問題がある。
6月ごろから、30度をこえる暑さになるのだけど、30度をこえる暑さになると、ダニの繁殖がすごいことになる。それに、しめっているんだよぁ。湿度が高い。
ともかく、ダニ用の塗り薬をゲットして、その袋をあけている状態で、なんか、あらたに刺さされたみたいなのである。これは、ダニだと思う。紙といっても、けっこう丈夫なやつだ。ともかく、新しく家を買ったら、ダニを持ち込まないようにしないとだめだ。まあ、物がないうちは、バルサンも気楽にできる。
ともかく、なんていうのかな、ダニがすごい。見えないけど、爆発的に増えている感じがする。今年の夏は、なんか、ほんとうに、ダニが大繁殖するような暑さと湿度で、やばい。ダニといったって、普通の人の家にいるようなダニではなくて、親父がいれたネズミ経由のダニだから凶暴なのだ。そして、足のことで、医者に行ったら、このことを話さなければならなくなる。そういうのも、こころを圧迫する。もう、どれだけ、いやな思いをしてきたかわからない。親父がいかにもやりそうなことなんだよな。
ネズミ関連のことは、親父がいかにもやりそうなことのオンパレードなんだよ。これ、普通の人にはわからない。
いろいろと買った。靴も買った。靴の段ボール箱とボール紙の箱は、てこずった。どうして、靴を買わなければならくなったかというと、ダニなのである。あの靴は、こういう状態でなければ、比較的新しいもので、まだ、使えた。ともかく、ダニから解放されたい。
ところが、新しい家を見つけるのが、困難なのである。いまは、歩くのさえ、しんどい。医者に行ったら、待合室で、やられそうなんだよな。虫刺されやダニ刺されに関しては、まともな薬があると思う。
家が問題なんだよ。中古の家は、それこそ、シェディングの問題がある。けど、それ以前に、いろいろと問題がある。小さいけど割と安い家を買っておけばよかった。あれが、いままで、見た中で、一番まし。そりゃ、新築のほうがいい。けど、ともかく、親父がネズミを餌付けしてから、悲惨な状態になっている。俺の肌が……。俺の肌が……。
こんな状態で、「楽しい楽しい」と言ったって、楽しくならない。かゆいからな。いたいからな。ワク臭攻撃もダニ攻撃も続きそうだからな。言えば、解決できるかというと解決できない。たとえば、「ダニは一匹もいなくなる」と言えば、一匹もいない状態になるか? ならない。それなのに、「言えば、言ったことが現実化する」と目を輝かせて言うやつがいっぱいいる。そいつらだって、「言うだけで」ダニを退治することなんてできないのだ。あやしいものを全部、捨てて、バルサンを何回も炊くとかそういう、方法になる。けど、ネズミがはいってくる状態なら、そういうことをやっても、むだだ。一回侵入されただけで、また、もとの状態にもどってしまう。
こいつらは、「俺のところには刺すダニなんていないよ」と言うだろう。きちがい的な家族が、部屋を猛烈にくさいにおいで充満させるなんてことがないからだ。まあ、穴も開いていたわけだけど、穴があいていても、親父がものすごくくさい魚のにおいを充満させるまでは、何十年間も、ネズミなんて一匹もはいってこなかった。だいたい、親父の部屋にある押入れの床がぬけているのである。壮大な隙間があった。これだって、普通の人は放っておかない。この押し入れはあやしい」と俺がいったとき、「だいじょうぶだよ」「だいじょうぶだよ」「見てごらん」なんて言ってたけど、もので、押し入れの床面と、側面が見えない。なんか、本人がずっと昔にビニールをはったみたいなんだけど、そんなのは、ペラペラのビニールでまったく意味がなかった。実際に、俺がものを出して、調べたとき、ビニールなんて、もう、くたくたになって落ちていた。そして、ものをいっぱい入れてふさいであるからだいじょうぶだろうと、きちがい親父が思っていた節があるのだけど、ものがいっぱい入っていて、ものの向こう側が見えないから、あやしいと言っているのに、「見てごらん」なんて言う。ものの、向こう側の壁の部分を見たいんだよ。「ものを出そう」と言っているのに、「いいよ」なんて言う。「ものを出して調べよう」という意味だ。あれだって、親父がその部屋使っている以上は、調べることすらできなかった。しかも、親父は自分で押入れの床を押し下げたので、知っているはずなんだ。
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こういうところでも、「言えば、言ったことが現実化する」なんてことを言っているやつに、俺が、むなくそわるいことを言われる。これ、俺がやった問題じゃないんだよ。けど、俺が被害を受けていて、言霊主義者は被害を受けていない。だから、言霊主義者は「俺のところには刺すダニなんていないよ」と言う。言える。けど、「言えば、言ったことが現実化する」かどうかということについては、こたえていない。これ、言霊主義者は「言えば、言ったことが現実化する」ということを、保持しているわけ。けど、言霊主義者だって、俺とおなじ状態なら、「言うだけで」問題を解決することなんてできないんだよ。けど、それを、言霊主義者は認めないで、「俺のところには刺すダニなんていないよ」と言う。やっぱり、きちがい親父と、ズレているところが似ているんだよなぁ。きちがい親父のほうがひどいけど、言霊主義者とも、ちゃんとした話し合いができない。言霊主義者とも、理論的な会話ができない。妄想を言っているだけなのに、妄想を言っているということが、わかってない。絶対の意地で認めようとしない。なんか、親父のやり方と似ているんだよ。もちろん、親父のほうが、ずっとずっとずっと、ひどいけど。