これから、買い物に行くかどうかまよう。どうしようかな。
なるべく、歩いたほうがいいから、買い物には行くべきなんだよな。24時間、やっているところがあって、よかった。
きのうは、雨がふったあとだったので、公園のベンチには座らなかった。ちょっとだけしめっている感じだったのだけど、わざわざ、しめっているベンチに座ることもないだろうと思って、座らなかった。
きょうは、なるべく軽いものを買って、ベンチに座らないようにしようかな。あそこで、ゼロコーラを飲むのは、けっこう気持ちがいい。と言っても、ぼくの人生は長期騒音でボロボロなので、ボロボロだなぁと感じることが多い。ベンチに座って考えていることって、長期騒音がつらかったなぁということなんだよね。だから、家にいるときかわりがない。
ようするに、もし、長期騒音にさらされてなかったら、「公園のベンチに座って、ゼロコーラを飲むのが、おつだ」とか「公園のベンチに座って、ゼロコーラを飲んで、気持ちがよかった」と書けたのだけど、書けない。そのように、ポジティブなことは、めったに書けない。ぼくが「うまい」とか「気持ちがよかった」と書いている場合も、じつは、長期騒音のことは、頭の隅にある。いや、中央にある。だから、「よかった」と書いている場合は、「相対的に」よかったということ意味しているにすぎない。これは、どういうことかというと、普段よりはよかったということだ。あるいは、部屋のなかにいるよりはよかったということだ。
人間が一生のなかで、分泌できるインシュリンの量というのは、だいたい、決まっている。いつかは、分泌できない日がくる。個人差はあるけどね。だから、食べるご飯の量を減らすというのは、この点にだけ、注目するといいことだ。けど、いきすぎは、たぶんだめだと思う。