2023年5月14日日曜日

「だるいと言うから、だるくなる」のか?

 どうするかな?

ほんとう、どうするかな?

片づけが、焼け石に水なんだよな。なんだか知んないけど、いちいちまようものがある。たとえば、椅子の付属品としてついてきたボタンのようなものなのだけど、それが、プラスチックごみなのか、不燃ごみなのか、わからない。ゴムだったら、不燃ゴミなんだけど……。プラスチックでも、ゴムでもないという可能性がある。プラスチックというけど、プラスチックそのものとプラスチックに似たものがあるんだよ。これは、なんなんだと思うようなものもある。分類しなければ、気にならないのだけど、プラスチックごみであるという確証がないんだよね。

まあ、不燃ごみのほうに入れておいた。

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あとは、まあ、ともかく、つまらないよ。これも、「つまらないと言うから、つまらなくなる」と言う人がいるんだけど、ちがうんだよね。いろいろなことがあったわけ。気ちがい兄貴とのトラブルやきちがい親父とのトラブルで消耗したわけ。条件はあるよ。そのときの『条件』というのがある。条件が時系列的に成り立っている。その場合、いろいろなことがあって、感情が鈍磨する場合がある。先に、不愉快なことがあって不愉快だと感じている。そして、自分がやりたいことができない条件が成り立っていたとする。その場合、自分がやりたいことができないので、つまらないわけだ。時系列的に、つまらないことがつみかさなったので、つまらないと感じている場合、「つまらない」と言ったからつまらないという感情が発生したというわけではないのだ。

「つまらない」だとわかりにくいかもしれない。「だるい」ということについて考えてみよう。「だるいと言うから、だるくなる」のか? たとえば、ワクチンに入っている毒で、毛細血管に血栓ができたとしよう。その場合、からだがだるく感じるのである。人間のからだというのはそういうふうにできている。血栓ができて、だるく感じたから、だるいと言ったとする。「だるい」と言ったから、だるくなったのか? ちがう。だるいと言うまえに、だるくなっていた。なので、「だるいというから、だるくなる」という考え方はまちがっている。この場合は、まちがっている。

「だるいと言うから、だるくなる」とだれかが言う場合、そのだれかは、そういう可能性を排除してから、「だるいと言うから、だるくなる」と言っているのかという問題がある。手短に言うと、そういう可能性を排除せずに、言っている。なので、この人の言っていることは、まちがっている確率が高い。この人が言っていることが正しい場合は、ほかにだるくなる理由がまったくないのにもかかわらず、だるいと言ったら、だるいような感じがしたというときだけ成り立つものなのだ。あくまでも、だるいと感じただけだ。身体的な変化は、ほとんど起こってない。固定的な意味での身体的な変化は起こってない。ようするに、だるいと言ったあと、血管に血栓ができて、だるくなるわけではない。ようするに、「だるい」と発言したことによって、突然、血管に血栓ができるわけではないのだ。「だるい」と発言したことが理由になって血管に血栓ができるということは、考えられない。血管に血栓ができたから、だるく感じて、「だるい」と発言する場合はある。「だるい」と言うこと自体は、固定的な意味での身体的な変化を引き起こすことができない。

「だるい」と言う場合も「つまらない」と言う場合も、じつはおなじだ。「だるいと言うから、だるくなる」という考え方はまちがっている。「つまらないと言うから、つまらなくなる」 という考え方はまちがっている。

「だるい」と言う前に「だるい」と感じる状態になっている。「つまらない」と言う前に「つまらない」と感じる状態になっている。その発言のまえに発生したすべての出来事が、その状態に影響をあたえている。もちろん、時間的に近いものが、大きな影響をあたえているという場合が多い。けど、時間的に遠いものが影響をあたえている場合だってある。それは、時間的には遠いけど、ある時期、繰り返し起こったことによってつくりだされた状態であるかもしれない。


 

 

 

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