おカネのことでほんとうにこまってたんだよ。少年時代、わかいとき、ずっとずっと、こまってた。
あーあ。あのころ、カネがあったらなぁ。いろいろ、ちがうんだよな。人間関係にも影響をあたえるよ。それ!
生まれたときから、ずっと、カネがある人が……「おカネとしあわせは関係がない」なんて、言い出すんだよな。ぜんぜんわかってないだけじゃないか。おカネがないということがわかってない。まるで、わかってないんだよ。そういう発言をする人は……。もう、わかってないということもわかってないんじゃないか。
たとえば、「とあるロレックスの時計」と「とあるカルティエの時計」の価格差が五〇〇万円だとする。その価格差がもっている、おカネの価値と、こども時代のおカネの価値がちがうのである。カネのあるうちに生まれたこどもは、カネをもっているこどもだ。カネのないうちに生まれたこどもは、カネをもってないこどもだ。
できることがちがってくる。
カネがないこどもにとっては、もちろん、おカネとしあわせは関係があるのである。
これがわかってないんだよね。生まれたときからずっと金持ちだから、「ロレックスとカルティエ」の価格差ぐらいの価値しかわかってないんだよね。
「毎日、一食一万円の食事をしてみた。たいして、しあわせを感じなかった。おカネと幸福感は関係がない」……こういうレベルの思考しかしてない。
「毎日、一食千円の食事をした場合と、毎日、一食一万円の食事をした場合の、幸福感には、たいして差がない。なので、おカネと幸福感は関係がない」……こういう、レベルの思考しかしてない。
何度も言うけど、これは、ありすぎた場合の限界効用について言及しているだけだ。おカネがありすぎた場合について、個別に、たいして重要ではない買い物について、言及しているだけなのである。「たいして重要ではない買い物」なのだ。ここが重要。
毎日、一食一万円、出せる人が、一食一〇〇〇円にした場合と、毎日、一食一五〇円しか出せない人が、毎日、一食九〇円にした場合とでは、意味合いがちがう。ぜんぜん、ちがう。