2023年12月31日日曜日

「ニート 勝ち組」というようなキーワードの組み合わせで、検索して思うこと

今回、だらだらと、無責任に書きます。

これ、いっちゃうと、腹をたてる人がいるかもしれないけど、みんな、たいしたことはやってない。快楽と言ったって、たいしたことじゃない。

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独身か、結婚しているか、結婚して子供がいるかどうかというのは、生活に影響をあたえる。このちがい以外のちがいは、たいしたちがいじゃない。

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「ニート 勝ち組」というようなキーワードの組み合わせで、検索して思うことは、やっぱり、インターネットとサブスクが大きな影響をあたえているのではないかということだ。

独身で、カネがない人のことを考えると、インターネットでできることが、時間つぶしの娯楽になる。そのほかには、散歩とか登山がある。登山と言っても、低い山を歩いてのぼる登山だ。インドアだと、インターネットの動画視聴、マンガ閲覧などがメインで、アウトドアだと散歩やゆるい登山、ポタリングなどがメインだ。

これは、5000万円ぐらい持っている、セミリタイアの人もたいして、かわりがない。

これに、ある程度、クリエイティブな趣味が付け加わるか、旅行などが付け加わる。けど、クリエイティブな趣味もおカネが数百万ないとできないようなものではないし、旅行もカネがかからない旅行をするのであれば、できないことはない。

ようするに、たとえば、貯金ゼロのニートと、5000万円もっているセミリタイアの人も、たいしてやることは、かわりがない。

貯金ゼロのニートだけではなくて、生活保護の人とも、たいしてかわりがない。 

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「ニートがどうして勝ち組なのか? どう考えたって、負け組だろ」と思う人もいるかもしれない。

勝ち組とか負け組という言い方は、ぼくは好きじゃない。

けど、とりあえず、そういう言い方を使って、ちょっと説明しようと思う。いや、やっぱり、この言葉は好きじゃないなぁ。別の言葉を使おうかな。けど、別の言葉を使うのもめんどうくさいなぁ。じゃあ、しかたがないから、なるべく、ズバズバと言わないようにしよう。

基本的には、「比較の対象」が問題なのだ。比較の対象はなんなのか? ニートが勝ち組だいう場合の、比較の対象は、底辺労働者だ。底辺労働者にくらべて勝ち組だと(そういうふうに言いたい人たちは)言っているのだ。ぼくじゃなくて、そういうふうに言いいたい人たちが言っていることだからね。誤解しないでね。

どういう点で、ニートのほうが底辺労働者よりも、優位かというと、まず、いやな人間関係をさけられるというのがある。「上司や先輩に文句を言われるのがいやだ」とか「そういう人間関係自体がいやだ」というのがある。

労働と人間関係は、切れないものだけど、労働よりも、人間関係のほうが負担だという人たちが増えているのだ。もちろん、「労働と人間関係は、切れないものだけど……」という場合の人間関係というのは、その労働にかかわる人間関係のことだ。

労働に組み込まれるとなると、あるいは、そこで働くとなると、そこの人間関係から逃れることができない。ニートなら、「そこの人間関係」から逃れることができる。

なので、相対的に快適だ。なので、相対的に勝ち組だ」と彼らは思っているのである。

次に、自由時間だ。人生のなかで、「そういう労働」に使われる時間は、いったいどういう意味をもっているのかということを考えると、お金をかせぐという意味しかないということになる。なので、時間を売って、おカネを買っていることになる。

けど、自分の人生ということを考えた場合、売ってしまう時間が長すぎるのだ。

そして、買えるカネが、少なすぎる。じゅうぶんではない。

だから、生活するだけでそのカネがなくなってしまう。これでは、なんのために生きているのかわからない。ニートには、時間だけはじゅうぶんにある。時間を売る必要がない。自分のために時間を使える……。

「労働者は自分のために使える時間が短いけど、ニートは自分のために使える時間が長い。なので、ニートは(底辺労働者にくらべて)勝ち組なのだ」と彼らは思っている。

カネがかからない動画も楽しめるし、ちょっとおカネをかければ、ほぼ無限に動画コンテンツを楽しむことができる。そういう時代になったので、おカネよりも、時間のほうが(自分にとって)価値があるという考えをもつことができるようになった。

ようするに、ニートは、労働にかかわる人間関係と労働時間を削除することができる。労働にかかわる人間関係が快適なものだったらどうだろう。さけようと思うだろうか? さけようと思わない。労働にかかわる人間関係が「いやでいやでしかたがないもの」だから、必死になって避けようとするのだ。

ようするに、ニートは、労働にかかわる人間関係をさけられるという点と、時間を自由に使うことができるという意味で、勝ち組だと言っているのだ。

けど、おカネをもっている「リア充?」は、比較の対象になってない。たぶんだけど、彼らも、カネをもっているリア充のほうが勝ち組だと思っている。

カネをもってるリア充が対象だと、自分たちは負け組だと思っている。そういうところがあるのではないかと、思う。

だから、まあ、まとめて書くとなると、こんな感じかな。

基本、カネをもっているリア充というのは、もともと、条件がいいところに生まれてきたやつだ。性格とか能力とか、そういうのは、あんまり関係がない。ぼくは、こういうのは、やはり条件が関係していると思う。

つまり、性格を含めた能力と生まれた家の質というものを考えると、性格を含めた能力よりも、生まれた家の質が、その人の人生に影響をあたえる。もちろん、性格を含めた能力は、間接的に影響をあたえると思うけど、影響の度合いが(生まれた家の質)よりも小さい。

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労働時間というのは、一日のなかでの労働時間という意味と、人生のなかでの労働時間という意味の、ふたつの意味がある。1日のなかでの労働時間が8時間だとして、通勤に片道1時間30分かかるとすると、合計で3時間通勤に使うことになる。1日24時間中、11時間が普通になくなる。食事や入浴やその他の雑用に、1日4時間かかるとすると、15時間がなくなってしまう。9時間しか眠れない。まあ、8時間眠るとして、自由に使える時間は1時間だ。これだとたしかに、自由時間が短すぎる「感じがする」。

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