2025年10月2日木曜日

●2025/10/02 20:48

 つかれた。右手・甲のシミなんだけど、気になるんだよな。どうしてかというと、タイプをするときに見えるからだ。いまも、視界には入っている。

これ、ほんとうに失敗した。段ボールなんだよ。ダニのせいで段ボールが凶器になる。

ところで、つかれた。つまり、つかれた。つかれた。つかれた。

眠っても、疲れがとれない。そして、ただでもめんどうなのに、Windows11に対応しなければならないという、めんどうなことが発生している。カネを払えば、Windows10の延長サポートをうけられるけど、これもめんどうだ。どうせ、1年後には、Windows11に乗り換えなければならなくなる。

なんか、めんどうなことをしたくない気持ちが、ものすごく、強いんだよ。今朝、無理やり起きて、なまゴミ処理のために動いたけど、きつかった。むかしのことを思い出してしまう。「思い出すな」というのはむりだ。体の感覚として、思い出してしまう。つかれたときは、つかれたと感じるだろ。それとおなじだ。おなじなんだよ。これ、「記憶」とか「思いで」というものではないのだ。まあ、そうなんだけど、一般の人が、考えるような「記憶」とか「思いで」じゃない。

ところで、「とか」の使い方だけど、「とか」というのは、「AとかBとか」というように、最後の項目のあとに、「とか」をつけなければならないのだ。ところが、ぼくの言語感覚からいうと、最後の項目に「とか」をつけたくないのだ。けど、間違いを指摘されるのは、いやなので、最後の項目に「とか」をつけて書いているのだけど、これが、しっくりこない。最後の項目に「とか」をつけない書き方のほうが正しいと思っている人が、約5割だ。省略しようかな。

あとは「い抜き言葉」の問題がある。ぼくの文章というのは、口語的な文章なんだよ。だから、「い」を抜かして書いたほうがしっくりする場面がある。これも、間違いを指摘されるのは、いやなので、しっくりこない場面でも、「い」を入れて書く場合が多いのだけど、どうも、しっくりこないんだよな。口語では、「い」を抜かして言うのが普通だからだ。

ともかく、動きたくない状態で動いているときの気分が、並じゃないのである。騒音で繰り返されたので、からだにきざまれていて、記憶とか思い出といった、距離があるものではないのである。あいまいなものではないのである。ダイレクトに、実感としてあるのである。

引っ越しの内見に行くことをちょっと考えたのだけど、考えただけで、猛烈にいやな感じが復活した。これは、むりだな。

けど、体力的復活すると、たしょうは、動けるときがあるんだよね。ようするに、いまは、起きたくない状態で起きて動いたから、そうなっているのだけど、最初から、普通の人が行動している時間帯にあうかたちで、ぼくが、起きている期間がある。そのときなら、あるていど動けるかもしれない。

「やる気がないときに動く方法」で、閾値をさげるというのがある。ようするに、ほんのちょっとだけやってみるという方法なのだ。これは、ボロボロ感が強いときは、実行できない方法だ。ほんのちょっとでもやりたくないからだ。「ほんのちょっとやること」を考えただけで、自殺したくなるからだ。

けど、これも、ある程度、体力がたまっている状態なら、できなくはないのだ。だから、そういうときに、動いておくと、動けなくなったときに、ある程度は、こまらないのだ。たして考えれば、ちょっとは、動いたことになるからだ。

世界情勢と、自分のちっぽけな世界……。この世界が、つながっているのだ。世界情勢と自分の世界がつながっている。どうしても、不可分なのだ。

けど、極力、世界情勢を無視して生きることも、可能ではある。けど、極力、無視しているだけで、影響は、うける。世界情勢の影響は、うける。 

まえから、話しているけど、「ダニ」と「トランスミッション」が問題なのだ。「内側のダニ」・「外側のトランスミッション」だ。

 

いつも読んでくださるかたに感謝しております



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