2025年11月21日金曜日

2025/11/21 22:05

文と思考の数について考えてみよう。

「ある村に、おじいさんとおばあさんが済んでいました」「おじいさんは山に狩り行きました」「おばあさんは、川に洗濯に行きました」「おばあさんが洗濯をしていると、大きなモモが、どんぶらこどんぶらこと流れてきました」「おばあさんは、大きなモモを持ち帰りました」「包丁で大きなモモを切ると、なかから、健康な男の子が出てきました」という話について考えることにする。

まず、「ある村に、おじいさんが住んでいた」ということと、「ある村におばあさんが住んでいた」ということが語られる。このふたりが、一緒に住んでいるという記述はない。

しかし、おばあさんとおじいさんは夫婦で一緒の家に住んでいると想像させる。

たとえば、個数を問題にするとき「ある村に、おじいさんとおばあさんが住んでいました」という文をひとつの文として考えて、1個思考したと考えるとする。しかし、認知されている個数は、「ある村に、おじいさんが住んでいた」ということと、「ある村におばあさんが住んでいた」という2個だという考え方がある。

そして、「思考」なのであるから、文には書いていないけど、「おじいさんとおばあさんは一緒に住んでいるはずだ」という思考で1思考。「おじいさんとおばあさんは夫婦であるはずだ」という思考で、2思考ということになる。「ひょっとしたら、兄妹か、姉弟かもしれない」と考えれば、それで1思考になる。

「おじいさんは山に狩り行きました」と書いてあるけど、なにを狩りに行ったのかは、書いていない。イノシシを狩るのか、ウサギを狩るのか、キジを狩るのか、わからない。

だから、「なにを狩りに行ったのかな」と思えば、それで、1思考になる。「弓矢でキジを捕まえることができたのかな」と思えば、それで1思考だ。

「おばあさんは、川に洗濯に行きました」と書いてあるので、洗濯に行ったということがわかる。こういうところから、一緒に住んでいるということを考えてしまうのだ。「おばあさんは、川に魚を捕まえに行ったわけではないので、食料調達は、おじいさんの役目なのだろう」と考えたりする。これで、1思考。「このふたりは夫婦で分業をしている」と考えれば、それで1思考だ。「夫婦であることが暗示されているけど、夫婦かどうかはわからない」と考えれば、それで1思考だ。

「おばあさんが洗濯をしていると、大きなモモが、どんぶらこどんぶらこと流れてきました」と記述されている。「大きなモモに、おばあさんがおどろいたという記述は、この場合はないけど、たぶん、最初は、おどろいたんじゃないかな」と考えれば1思考。

「どこかで、驚いたという記述がある(おなじような)話を聴いたことがある」と考えればそれで、1思考。「どうして、話者は、おばあさんが驚いたという記述をぬかしたのだろう」と考えれば、それで、1思考。

「いや、驚いたという記述がある場合の話は、本当は聴いたわけではなくて、今自分で考えただけ市も知れない」と考えたら、それで1思考だ。「どんぶらこという表現は、ほかでは、あまりみかけないなぁ」と思えば、それで1思考だ。

もう、めんどうになったので省略するけど、「大きなモモを切るような包丁があったんだ」と思えば一思考。「包丁で切ったとき、なかの男の子が、けがをしなかったのは、偶然なのか、おばあさんかおじいさんの切り方がうまかったからなのだろうか」と考えれば1思考だ。

こういうことを、話を聴きながら、考えて、なおかつ、「思考」の数をかぞえなければならない。

「思考」という単位がよくわからない単位なので、もっと細かく1思考を考えることだってできる。ひとつの文がひとつの思考に対応しているわけではないのだ。

「思考」という考え方は、「単位」としてはあいまいなので、どこからどこまでを1思考と考えるかということは、人によってちがってくる。

「人間は1日に6万回思考する」という研究結果を導き出すには、被験者が必要だ。よくあることだけど、「人間」という「主語」は大きすぎる。

被験者には、どこからどこまでを1思考として考えるべきたということを教えておかなければならない。ところが、どこからどこまで1思考として考えるべきかということは、実験者もわからないのだ。

だから、被験者には、それぞれ、なにを1思考だと考えるかについて、ばらつきがあったはずだということになる。そして、6万回思考したと報告した被験者がどれだけいたのかということも、問題だ。6万回も、ひとつずつ、数えたということになる。

そして、眠っているあいだも、数えたことになっている。こんなのは、ない。正確に数えたとは、考えにくい。

いつも読んでくださるかたに感謝しております



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